2001年07月24日 火曜日
趣味について
人の趣味にとやかく言う馬鹿な奴が身の回りにいるのよ。まぁ彼の場合は何でも心をえぐるような言い方しかできない人なんで、どうでもいいし相手にもしてないんだけどね。そこそこ自分がのめりこんでいるものがあれば、その世界である程度の知識は得るものだし、マニアになるのは必然だ。そんなことで文句をいわれる筋合いはないのだ。彼の姿を見ていると、他人の趣味や嗜好で見方を決めるような愚かな事をすまいと日々思う。まぁ僕自身は人と同じ生き方をしたいとも思わないし、流行なんて気にしてないし、人が知っていることや人がやっていることを自分でやってもつまらないじゃないと考えて日々生き長らえている。人の目を気にするほど、そんなに人生暇してないしね。無論人に迷惑をかけるような趣味を持つのは考え物だけど。
でも、1つの趣味にのめりこみすぎるのはもっと問題だ。何でも興味を持つことは、人生のバランスを保つのに重要だ。僕の場合は、食べ物の嗜好、絵画、文学(これは結構怪しい)、クラッシックからポップスやら最近はジャズまで広がりつつある音楽鑑賞、風景・ネイチャー写真からスポーツ・女性ポートレートまでを楽しむ写真撮影・鑑賞、映画鑑賞、アニメーションの鑑賞、OS/コンパイラの収集・使用、美しい数式・物理法則を眺めるなどといった多彩な趣味を持ち合わせているが、すべてについて重なる人をみたことはない。そんな人がいたら気持ち悪い。ただ少ない趣味と仕事と家族だけが、生きがいなんていう悲しい人生は送りたくない。平均的な人間にもなりたくない。そう思うのだ。ということで何がいいたいかというと、人に迷惑がかからない・自分でやっていることが客観的に判断できる範囲で「人がどう思おうと、いいじゃない。」ということだ。ファインマンの有名な言葉を思い出したところで、いまさらながらそのとおりなんだなぁと思う今日この頃だ。自由奔放に生きることは難しいが、かくありたいものだ。