2001年05月16日 水曜日

昨日はおやすみ

昨日は、日記をお休みしてしまった。

カウンタを設置

ホームページにカウンタを設置した。昨日はその作業に明け暮れてまっため、日記を休んだのね。

新井 素子 「チグリスとユーフラテス」

友人に貸してていたが1年ぶりに帰ってきたので再読中。(実は2週目)内容はざっと、以下のとおり。帯から勝手に転載。

遠い未来。地球の人々は他の惑星に移民を始めた。その9番目の惑星「ナイン」に向かう移民船に登場したのは、船長キャプテン・リュウイチ、その妻レディ・アカリを含む30余名の選りすぐりのクルーたち。人々は無事ナインに定着し、人工子宮・凍結受精卵の使用により、最盛期には人口120万人を擁するナイン社会を作り上げた。だが何らかの要因で生殖能力を欠くものが増加しだし、人口が減少し、ついに恐れられていた「最後の子供・ルナ」が生まれてしまう。たった一人残されたルナは、怪我や病気のために「コールドスリープ」についていた人間を、順番に起こし始める。最後の子供になると知りながら、母親は何故自分を生んだのかを知るために。まなナインの創始者であるレディ・アカリに惑星の末路を知らしめるために。ルナと四人の女で語られる。惑星ナインの逆さ年代記。
登場するのは、「最後の子供・ルナ」と惑星ナインの四つの時代を象徴する四人の女性、マリア・D (衰退期)、ダイアナ・B・ナイン(安定期)、関口 朋美(成長期)穂高 灯(草創期)とその周りの人たちで、それぞれが「繁殖」「生存」「芸術」「仕事」といった概念を象徴している。まぁ新井素子が持っているそれぞれ人格と言う感じがしないわけでもないし、レディ・アカリの場合はもうそのまま新井素子という感じ。ただしとても老婆の台詞とは思えない台詞・思考が垣間見えて、精神世界の薄さが見えるといった残念なところはあるが、ただルナの問いかける「生まれてきた意味」「生きる意味」といったテーマは強烈で、作品の面白さを損なうところは無いと思う。読後じっくり考えさせてくれる新井素子の多分代表作になるであろう小説であると言って過言ではあるまい。
僕の中では「関口 朋美」の章の話が圧巻で、彼女の最後の台詞「『最後の子供』として生まれてきたことに怒るんじゃなくて、自分ひとりを残して、他のみんなが死んでしまったことに怒るんじゃなくて— 『好きなこと、やりたいこと』がついに無かった。その境遇に対して怒るべきなのだ。」というくだりで、恋愛もなく・仕事もなく・生き甲斐もなく・好きな物も無くただただ生きてきた境遇と言うのは、どういうものか? 考えさせられた。はたして今、自分の境遇を鑑みて、まぁ彼女よりかなり良い境遇にあるには違わないが、如何ばかりの幸福を得ているのか、如何ばかりの充実感を得ているのか、じっくり考えさせられる小説だった。
少女文体と言うのは新井素子の作風なので、これがいかんと言う人には勧めないが、まぁ一読をお勧めしておきたい。