2002年07月09日 火曜日

妹からの電話

最近僕の所に来る以前で納期が迫った仕事が止まってしまうため、これから忙しくなりそうなため、定型的なとりあえずやっておかないとならない仕事を片付けるべく、今日の午後はなにげにお仕事をしていた。14時ころ滅多に呼出のない受付から、「妹さんから電話です。」と外線の転送があった。妹から電話ということから、なにかしらの不幸ごとであろうと察しをつけて電話に出ることにした。(ここ10年不幸ごともなく生活を続けてきた上、親戚も気がつけば高齢な方も多いので。)
妹の電話は内容は伝わったが、地に足が付かない内容の電話であったが、内容を要約すると、こんな内容であった。

  • 父が心筋梗塞で仕事場で倒れたらしい。
  • 苫小牧の王子総合病院に運ばれたらしい。
  • 現在人工心肺を繋げられている状態で、自立的に心臓が動くことはもう無いらしい。
  • 脳のほうは既に脳死の状態らしい。
  • 早急に帰ってきて欲しい。
    と言うかなりヤバイ感じと言うか、内容を聞いて整理して行くと、既に全てが手遅れな状態であった。ただ情報が錯綜(上の内容をきっちり聞き取れているわけではないので)しているのと、こういう事態であるから、会社はきりが付くまでお休みを頂く算段をとり、急ぎ北海道に帰還することとなった。
    父に最後に会ったのは、先週の北海道帰省の際に新千歳空港まで送ってもらい、そのときは特に異常もなく元気だった。で、「じゃぁ、次会うまで元気でね!」と言って別れたため、信じられない状態である。
    なんとかお願いをして飛行機のチケットが取れたため、早速移動。家から空港まで家から1時間以上かかるので、町田に住んでいる叔父に連絡を取り、この通りの状況なので、明日にでも北海道に来て欲しいと連絡を付け、北海道まで移動した。新千歳空港までいとこに迎えに来てもらい、迷いつつも20時すぎに苫小牧市の王子総合病院にたどり着いた。

父の急死

病院に着くなり集中治療室に入り、父の状況を確認した。医師からの説明があり、ここにたどり着くまでに得た状況の通りであった。すっかり変わり果てた父の姿を見て、頭をハンマーで殴りつけられたような衝撃を受けた。すでに元に戻ることのできない状態になって父は横たわっていた。ただ表情は苦痛に歪んだ表情ではなく、実に安らかに眠っているようであった。そこが僕や家族の救いであるかも知れない。ただ、人工心肺をつけている状態で、止めると死んでしまう状態(植物状態にすらなれない)なので、どこかで、「機械を止めてください」と言わねばならない。集まった親しい人に見取られる中、僕は母と目で合図した後に身を切る思いで機械を止めるよう医師に指示をした。
ということで、公式記録上の父の死亡した時刻は21時14分である。後1週間で誕生日と言うところであったが、61歳で永遠に時が止まってしまった。今のご時世だとあまりに短い一生であったと思わずにいられない。
失意の中、父と家族と実家がある夕張に帰還したのは翌日の午前2時。いろいろと片が付いたのは3時すぎであった。翌日の段取りを決めてとりあえず寝ることとなった。実に長い1日であった。