2002年07月11日 木曜日

大叔父との闘い

今日、葬式に参列すべく仙台から大叔父(うちの店の創業者世代)が夕張に来た。で、彼が気になっていた現状の会社の状態(後述する理由で現在休業中)を勝手に調べたそうな。彼は現在のうちの会社の経営になんの権限もないので、彼が勝手にいろんな所に言って聞きまわる事自身は違法であると思う。(監査役が同席している場合でも、恐らく知りえないというのが正しいはず。家は株式会社なんで株主であれば株主総会でのみ話を聞けると思うのだが間違っているのかな。)
まぁそんなところであれば目もつぶれるが、事もあろうか父の眠っている前で非常に厳しい口調で父や僕らを叱咤するわけだ。場所と時期が最悪ではなかろうか。ただでさえ父がいなくなってしまった喪失感に打ちのめされている中、平然とまくしあげる事ができるとは、ドラマでなら見る事もあろうが、まさか自分に降りかかるとは思わなんだ。父が死んだ悲しみよりもこう言う事を平然とできる大叔父の態度に腹立しさを強く感じる。
曰く、「一度開いた店をたたむのは男のやる事ではない」とか、「経営者ならどうするべきかもっと早くに決めるべきだった」とか、すでに言っている事の論理が破綻しているのである。聞いていると腹が立ったが、論理の破綻を笑わずにいられない。そう責めてくるので、僕が論理的に冷徹に責めて行くと、「おまえは理屈っぽい」とおっしゃる。と言う事ですでにお話にならないのである。僕は高齢な方への敬意は常に持っているつもりであるが、残念ながら、今の話やこれからの話は、これからを担う僕らに責任があって、彼らにはないと考えている。だから引退した時点で、何にも出来ない・何にもしない所詮、「半人前」にすぎないと考える。なので、偉そうに知ったふりをして何でも言うなと言ってやった。
もっと言いたい事はあったが、僕も根が優しいのだか何だか解らないが、話を穏やかの方向に持って言って、話を丸く納めたのであるが、何と言ったらいいものか。あきれて開いた口がふさがらない。齢80も越して、このレベルか。人間こうはなりたくないものだと思った次第だ。
まぁ他にもいろいろとあって、例えば、現在の夕張の状況は本当にひどい物で、さらに区画整理事業の対応のまずさでこれまでの消費者がほとんどいなくなってしまった状態でみんな必死に頑張っている中、「ようやっていますねぇ」なんて、夕張の将来に何の責任もない一老人が言っていいものであろうか。まぁそう言う言行の節々にも、現状認識の甘さ、思いやりの欠如が見え隠れしていて、僕なんかはこの人は何者なんだろうかと思ったり。それにしても、これまでの長い付き合いでそう言う人であると見抜けなかった事が僕としては非常に恥ずかしく思うところであり、己の未熟を痛感するところなのである。「闘いの軌跡」にふさわしい内容であろうか。