2002年08月14日 水曜日

僕のものの考え方

なんだか誤解している人がいるみたいなので、それなりに僕の立場を説明しておいた方がよいかも知れないと思って、今日書き起こしてみる。
僕の物に対する考え方は、**「与えられた状況で便利な方法論を採用することをためらわない。」と言う物であって、「不便だからと言って存在自体は否定しない」と言う物である。(これで間違ってないと思うけど)
たとえばずいぶん前にデジタルカメラ擁護論を何度か書いてみたが、別にデジタルだけが良いという立場で書いている訳ではない。フィルムが便利だとは思わないが、フィルムにはフィルムにしかできないことは今のところはある訳で、うまい具合に使いこなしましょうと言うことなんです。だから
「デジタル画像万歳!」**と言うデジタルにいっちゃった人の意見にも全面的に賛同しない。逆にフィルムを使えと言うことにしている。
僕はLinuxのユーザーであるが、お仕事ではWindows2000+Office2000という組み合わせを迷わず使う。別にLinuxでOffice環境が欲しいとは思わないし、家で使っているWindows環境でOfficeを使うこともないから、ライセンスを持っていてもインストールは絶対にしない。まぁお仕事関係の文書は会社でWindowsでやるのが手っ取り早いし、家でやりたいと思わない。逆にメールを読むのは、Emacs+Wanderlustなんだし、Webを見るのはMozillaで十分な訳だから、Emacsが動けばどうでも良いんだわと思うし、プログラムを書くのはLinuxの上の方が何かとやりやすいと思う訳。
また僕はLinuxユーザーであるが、元SunOSユーザーだし、FreeBSDを使っていた頃もあるし、HP-UXも使うことはあるので、BSDとPOSIXとかBSDとLinuxとか言ったこだわりもない。(だいたいハードに近いプログラムを書けないので、BSDとLinuxで違いがでるプログラムを書けない訳だから、この見方に拘る必要もないのよね。) と言うことで、IPv6で遊びたいなぁと思って、やっぱKAMEだよねと言うことから、BSDに回帰する可能性は十二分にある。(MacOS Xで遊びたいなぁと思う心もあるんだし。)
こだわりも持つのはそれなりに重要だと思うけども、僕はこだわりを捨てて、いろんな物を受け入れるという広い物の見方を保つことが大切だと思っている。それはフリーマン・ダイソンやリチャード・ファインマンの著作の影響だったり、Linuxを作ったLinusの言葉の影響を多分に受けていると思う訳だが、そうあろうと努力しているつもりだ。
あと世の中の見方については、どうなんだろう? 最近は厳しい状況に立たされる場面が多く、不満を持っていることは事実であるから、今の境遇に言いたいことや日記で書いていることは多いけども、変えられることは変えていきたいと思っているし、昨日や今日の常識が、明日も明後日も永劫に常識たり得るかと言うならば、今日で駄目だったら見限ってしまえと思っているのは事実かも知れない。無論しがらみもあって簡単ではないけども。
なかなか人に考え方を伝えるのは難しい。と言うことで、思いついたときに書こうと思う訳だ。分かっていただけるものだろうか? 文章が下手くそなので、幾らでも誤解して読むことは可能であるが…