2002年11月05日 火曜日

ダニエル・キイス / 『アルジャーノンに花束を』

気がつくとドラマ化されていたので、ドラマを見ることなく再読しようかなぁと思って、本棚の奥底から取り出してみた。いつ購入したものかと調べてみると、89年6月30日 改訂第5刷とあるので、おそらく89年の秋ころで高校2年生の頃だろうかと思う。当時文庫本しか読み漁っていなかったから、僕が購入したおそらく始めてのハードカバーな本だったかと思う。この本は高校時代の化学の先生に勧められて読んだ本で、その内容も相まって思い入れもかなり強い本である。
この本を読んでいる大部分の人はこの本が_優れたSF_であると意識して読んでいないと思うが、知能(IQ)を外科的な方法で良くすること(表現はこれで正しいのか?)自身が少なくとも今の医学ではあり得ない話であって、もしそうであればどうであろうかと言う考察に基づいて書かれた小説で、そこにSFなマインドがあると思うのである。現に、1966年のネビュラ賞受賞作であるし。
この話は、精神遅滞を患うチャーリイ・ゴードンが自ら書く『経過報告』のみで構成されており、端的に言えば1人称で語られる話であるが、その文章の内容・熟練度で知能の獲得・意識の変遷・知能を急速に失っていく様を表現しており、実に読むことの喜びを感じる小説_なのである。私小説自身は結構あると思うが、後にも先にもこのような読むことが楽しい小説はなかなかあるまい。原書もなかなか凄い本であるが、翻訳も素晴らしい本で_良くもまぁ翻訳したものだ_と、後に思ったものである。あの音読しないと意味がとれないミススペルの嵐を誤字で表現するのだから、翻訳された小尾さんも版をおこした早川書房も大変だったであろうと思うのである。
中編版と長編版があって、中編版はこの小説の本質的な部分のみで構成されていて、読後に感動があったのであるが、長編版は登場人物が増え、チャーリイ・ゴードンの内面的な描写を深めており、かなり中編版とは異なる感動があろうかと思う。僕は高校時代に
「ものを学ぶ」_と言うことに関して深く考えさせられた小説であったが、他の人はどのように読んでいるのであろうか… 今回のドラマ化に関しては何も言うまい。
うちの本は以下のような感じになっている。僕自身が何度も読んでいることもあるが、いろんな人に読むように勧めて、実際に貸した本でもあるから、すっかりぼろぼろである。でもそれだけに愛着があるのかも知れない。
表紙時の流れを感じる姿