2002年03月19日 火曜日
席替え
今日は組織改編と言うことで席替えだった。うちの会社は本当に席替えの好きな偉い人がいて本当に嬉しい。おかげさまで1年以上同じ席に最近座っていない。もううんざりだし、疲れちゃいましたよ。病的というか、新入社員が入ってこないと席替えでもしないと気分も変わらないか… とはいえ、新しい人が来ない組織って末期的よねぇ。
今日は組織改編と言うことで席替えだった。うちの会社は本当に席替えの好きな偉い人がいて本当に嬉しい。おかげさまで1年以上同じ席に最近座っていない。もううんざりだし、疲れちゃいましたよ。病的というか、新入社員が入ってこないと席替えでもしないと気分も変わらないか… とはいえ、新しい人が来ない組織って末期的よねぇ。
今日は現所属部門の分散会ということで、鳴子で飲み会。
夏に買ったFinal Fantasy Xであるが、忙しさにかまけて半年以上放置していたが、埒が明かないのでそろそろ手をつけることにした。幸い前の流れを思い出したので、結構な勢いで快進撃中。しかし決まりきった道のりを歩かされるんだったら、5時間くらいの映画にしてくれたほうが非常に楽チンなのだが…
大掃除を始めると勢いが止まらなくなって、今回はいろいろ書類を捨てることとした。ずいぶん前からいろいろ置き場所に困っていたので、そろそろやろうと思って半年くらい経ってしまっていたのだ。書類は2年以上参照しない物を中心に捨てた。捨てたのは新入社員研修の時の資料だの、昔のソフトのマニュアルだの、雑誌などが中心だ。
捨てるときにいつもびっくりするのだが、ソフトのパッケージ類の箱の多さである。これは2年おきくらいに捨てているのだが、やっぱうんざりするほど多い。捨てるときにいつも思うのであるが、こんなに大きな箱が必要なんだろうか。CDのパッケージだけで良いんだけどもどうにかならんもんなのか。マニュアル類もかなりの分量なので、できれば電子的な文書にしてくれると捨てるときに楽なんだけどなぁ。パッケージのあり方はいつも考えるところではある。今回捨てた箱は以下の写真のごとし。大きさの比較のためCDのパッケージとたまたま卓上にあったサンニッパのトランクケースを置いてみた。かなりの分量だねぇ。(しかも後ピンもいいとこだし。)
WindowsXPにして以来、CD-Rライティングソフトがなくて困っていたが、今まで使っていたNero 5のアップデート版を購入した。どのソフトを使っても似たようなもんだと思うのであるが、WinCDR、Easy CD Creater、Neroと渡り歩いてきて、しばらくNero5.5のまま使い続けるのであろう。(このPCでOSのアップデートはもう考えていないので。)
僕は携帯電話のアドレス入力が苦手というか、一つのボタンに複数の機能が割り当てられている物が許せないたちのせいか、携帯電話は電話をかける以上の機能を利用できない。(そういう意味では僕はOld-Typeな訳だ)
以前Docomoの携帯電話を使用していてこの充電コードを使っており(携快電話3だな)便利さを実感していたが、auの電話に乗り換えたときに友人にケーブルを譲ってしまった。何を血迷ったかまたDocomoの携帯電話に乗り換えたのでまた必要になったわけだ。困ったことに電話番号入力をする必要がある場合が結構あったのだが、面倒なので放置していた。これでようやく使えるようになったか…
と言うことで、ようやく電話番号が入力できる。不便な世界からの開放だな。
今更何を言うと言う話ではあるが、コーヒー関連の備品を揃えられるページを同僚の河田さんに教えてもらったので、早速メモ。コーヒー問屋が求めていた店である。うちにはサイホンがあって、たまに気が向いたらこれでコーヒーを淹れていた。サイホンなのでアルコールランプを使ってお湯を沸かすのであるが、アルコールランプのトーチ(芯)は布製だと消耗品になってしまうので、銅製のトーチを使っていた。困ったことに数年前から調子が悪く、宮城に来て以来使わなくなってしまった。さすがにもったいないので、何年もトーチをずっと探していたのである。
と言うことで、この店を発見したのでいろいろ備品を買えるようになった。エスプレッソの抽出機も欲しくなってしまった。これを機に買ってみよう。とはいえ、うちの食器棚も慢性的にアクセスできないようになってしまっているので。食器棚は買い換えなのかなぁ…
しかも豆も購入できるし、ローストとグラインドを指定できるのが嬉しいところだ。さすがに仙台でこういうレベルで豆を売ってくれる店を探すのは難しい。
最近、「どっちの料理ショー」の時間に自宅にいるので毎週見ている気がするが、今週はハンバーグサンドとチリドッグの対決であったが、今回はチリドッグが美味しそうだった。うまいソーセージを食べられる店をなかなか見つけられないので、実に食べたかったのだが負けてしまった。僕がこの番組のレギュラーだったら毎週食べられない人かも知れない。
うちの大学の周りには大学のご多分に漏れず安くて美味しい店が何件かあったのであるが、ハンバーグと言えば、大学時代の友人たちならば知っている「ふきのとう」という喫茶店のチーズハンバーグセットが実に旨かった。ちょうど今回の放送に出てきたようなハンバーグの中にチーズを包み込んだ物で、貧乏大学生が毎週食すには贅沢すぎると言う意見はあったが、毎週日曜日の夜9時はこの店でハンバーグを食べ、ママさんとバイトの女の子と「知ってるつもり」にあーだ、こーだ言いながら話をするのが楽しみであった。そういえば僕は今のところあれを越えるハンバーグを見つけていない。(探していないだけではあるが) 当初、この店は僕は当時バイトをしていた女の子(確か一つ上の電気電子工学科の紅一点であったが)が目当てで通っていたのは否定しないし、彼女と話をするのは楽しかった。彼女が卒業して3年間通い続けたんだから、まぁそれはきっかけだっただけにすぎないと思うのであるが、僕もここ10年でなかなか成長しない物で、未だにそういう面は捨て去っていないようだ。
最近アニメ版を見ているが、なかなかおもしろいアニメだ。庵野秀明が「新世紀エヴァンゲリオン」のあとに少女漫画をアニメ化する物かと思っていたが、通ずる点はあるわな。暇があったら原作も読んでみることにするかな。持っている人がいたら貸してください。(もう家に漫画をおいておくスペースがないんです…)
最近おもしろい少女漫画を読むと文学的(?)でおもしろいんだよねぇ。最近の少年漫画は直感的でつまらんのよ。
Ruby256本の著者らによる本。最初ぱらぱらめくったときはRWikiとdrbが気になって購入してみたわけだが、読んでみると意外にBigFloat(可変長浮動小数点数ライブラリで良いのかな)の解説がなかなか楽しい。昔数値計算をしていた名残であるが、可変長の浮動小数点ライブラリはCで使ってみたりしたが、足し算や引き算と言った演算子を使って行うような計算をすべて関数呼び出しでやるという弊害があった。僕が学生の時にはC++の完成度は今のようではなかったし、JavaについてはAlpha版であったから、クラスライブラリを書いて演算子関数を使って多重定義なんてことはできなかった。Rubyのようなお手軽言語でこのような計算ができるようになったことは非常に有益であろう。むろんパフォーマンスを求めるならば、C++やJavaなどでやるべきであろうが、アイディアをそのまま計算するにはもってこいだ。
他にはGtk/RubyやSDLの解説もあっておもしろそうであるが、いかんせんそこまで話について行けてない。そのうち読みそうであるが…
今日はうんざりするほど某似非政治家の顔を見る羽目となった。証人喚問を見ていつも思うのであるが、国会議員の暇つぶしにしか見えん。こういう捜査・尋問は今の段階では国会議員のセソセイのみなさまには無理だとおもったりする。なにせあの程度の男を論理的に回答不能な状態に畳み込むことすらできないのであるから。
そういえば、この国には真に後世に名を残すに値する政治家はいるのであろうか。思うに少なくとも戦後においては存在していないと思う。政治家に必要な資質は何であろう。塩野七生さんの「ローマ人の物語」に引用されているイタリアの歴史教科書によれば、「指導者に求められる資質は次の5つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己抑制の能力。持続する意志。カエサルだけがこのすべてを持っていた。」とある。確かにこの5つを持っている政治屋はなかなかいない。今の国会議員をはじめとする日本の政治家のセソセイのみなさまはこの中の1つも持っていないのではないか。現在の政治屋の大部分が戦後教育によって育ってきている世代に入れ替わりつつあるなかで、こうしたていたらくを見せられ続けると戦後の教育ってなんだったのと疑念も沸々もたげてくるわけである。
優れた政治家の名を挙げよと言われたら、恐ろしいほど名が思いつかない。世界史の知識を総動員しても、僕にはローマ帝政を始めたユリウス・カエサルしか思い浮かばない。彼は近代民主主義の政治家ではないが、2000年後の世界を見て今なおその業績や影響が見て取れる政治家なのだから。「国家100年の計」ところではないのだ。(しかも2000年も読み継がれる散文を書き、素晴らしい演説を行い、軍人としても超一級の才能があるというのはやはり天才なのであろう。)
さすがに天才を求めないが、さすがに「記憶にない」なんて言う曖昧な回答をする政治家は必要ない。常人よりもしっかりとした記憶力が要求されるのではないか。我々はこういうところをしっかり査定しなければならないのではないかと思う。ただ査定する際に注意しなければならないのは、可能な限り視野を広げて先入観なしに政治家連中の姿・言行を見ていかなければならないと言うことかも知れない。そこで、カエサルの言葉で好きな言葉を引用すると、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」とある。今見えているのは我々が(ひょっとしたらマスコミが)見たいと欲している物だけしか見えていない感じはある。そういう点は冷徹に見直していかねばなるまい。
今日の「知ってるつもり」から。「知ってるつもり」はその名の通り知ってるつもりのコメンテータが無責任な意見を吐く、批判的に見ればかなりおもしろい番組であるが、呆れた意見を吐く加山雄三が嫌いなのと、見るのが疲れる番組なのであまり見ていない。今日久しぶりに見たら、最終回スペシャルとか言う話で、「文明の滅亡」を題材に現代文明のあり方に警鐘を鳴らす内容となっている。最終回的まとめにはいるのであれば、警鐘を鳴らしてと疑問を問うというのはあるかもしれないが…
今回の見方としてはおもしろいとは思うが、かなり一元的ではあるし、言いたい結論を決めてからの議論なのでそういう意味ではおもしろくないとも言える。で、エジプト文明の「女性中心的価値観」からローマ帝政時代に取って代わって、「男性中心的価値観」への価値観の変容があって、その後今まで「男性的価値観」の自然などからの搾取構造が変わっいないと言う。現在のアメリカなどの言うところの「民主主義+資本主義」の行き着く果てに、搾取され尽くした自然がいずれ現代文明の滅亡を招くのではないかいう感じに読みとれる。
僕なんかが思うのは、別に文明が滅亡するのが必然であるならば、受け入れざる得ない。価値観を喪失して新たな価値観が台頭して旧来の価値観が変容して文明が滅亡するならば、それは文明の滅亡ではなく新たな価値観を持った文明の登場と考えたい。こういう価値観の転換というのはいきなり起こる物であって、案外相転移みたいな物と同じような説明ができるものなのかも知れない。ただ文明の交代があるとして問題なのは、その間には混乱と争いあり、停滞と貧困を生む。そっちの方が問題だとおもう。
そういえば、こういう話はアイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」なんかの考察が古いけれどもあって、こういうことを考えるのはなかなかおもしろい。僕はこの本を読んだあとに、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んでみたが、一つの文明・文化の興亡を見るのは、歴史の勉強では必要であると思う。生き方や考え方をいろいろと歴史から教訓を得るにはこういう風な本は良いだと思う。ただちと難しい本なので、僕は塩野七生さんの「ローマ人の物語」をお勧めする。日本人は歴史の教育で一つの国家・文明の勃興から滅亡までを一貫して教育されない。これは困ったことである。「平家物語」みたいな優れた文学があるのにもかかわらずである。こういう物の見方はあった方がよいと思うので、ぜひいろいろと本を読んでいきたい。そういえば、ハリ・セルダンの「心理歴史学(サイコ・ヒストリー)」はここの人間を相互作用する物としてとらえて、全体の系(銀河帝国)の振る舞い(歴史)を計算するという、統計力学的な学問だったなぁ。