2003年03月14日 金曜日
一つの別れ
使い慣れた道具を一つ手放してしまいました。なぜ手放したかは追々分かると思う…
ああ、写真が撮りたいなぁ
最近沸々と写真が撮りたいです。寒い時期が続いてなかなか写真を撮れない日々(特に屋外・遠出を要する場合が多いので)が続いていましたが、そんなこともあって写真集や雑誌を眺めているとふと写真が猛烈に撮りたくなります。もう少しの我慢ですかね。(月末あたりから今年の活動を始めたいなぁ。)
使い慣れた道具を一つ手放してしまいました。なぜ手放したかは追々分かると思う…
最近沸々と写真が撮りたいです。寒い時期が続いてなかなか写真を撮れない日々(特に屋外・遠出を要する場合が多いので)が続いていましたが、そんなこともあって写真集や雑誌を眺めているとふと写真が猛烈に撮りたくなります。もう少しの我慢ですかね。(月末あたりから今年の活動を始めたいなぁ。)
もう少し暖かくならないものかな。気候変動についていけていないようです。こんな柔な人間ではないはずだったのですが、精神的なものもあるのかなぁ。まぁのんびり行きましょう。
ここ最近の気候変動についていけないのと、正月からあまり休んでいない状況(最近は休んでいるが)が続いていて、体調がいまいちよろしくない。ということで、今日は午前半休とかではなくて1日休むことにした。昼まで眠って、特に何もせずのんびりな一日である。たまにこういう日があっていいはずだ。
高林さんが作っているzphotoはおもしろいなぁと思って眺めていたのですが、Debian Sidな環境で_apt-cache serach zphoto_をしたら、なんとあるじゃないということで、さくっとインストール。
zphotoは複数の写真から、ズーミングする写真集を自動生成するツール。デジカメ写真から Flash を用いた Webページを作成できる。早速使ってみたがなかなかいい感じ。昨年ありあさんと撮影に出かけた時の写真をアルバムにしてみた。
今後の写真に関しては、撮影データなどを載せずにこの方式でまとめようと思うのであるが、どのようなサイトマップにするかまだ決めかねている。(ディスクスペースの関係と昨年の今頃に考えていた整理もかねて、少なくともポートレートに関してはざっくり整理し直す予定。)
掲示板の投稿記事に何ともSPAMめいた書き込みがあったので削除した。大概の書き込みは残しているのですが、今回のは管理ポリシーにはずれるので。今回は、_「注意事項が書いていないので、書き込んでみました。」という話なのですが、「注意事項を書いてなければ、何でも書き込んでいいのですか?」_と問いつめたい心境になった。
ということで、やらねばならぬと思っていたWeb Forumのバージョンアップも同時に行った。今回のバージョンアップで嬉しいやら悲しいやら分からないが、注意事項のページへのリンクがサポートされているので、早速書くことにした。(なんともうちのポリシーに合わないHTMLだけども。)
つまらない注意事項は書きたくないので、_己の良心に従って_使ってくださると幸いです。
1月3日にExifの話をしていたと思う。最近日記を巡回していなかったのだが、高林さんの日記をつらつら読んでいたら、exif-touchを発見、しかもちゃんとビッグエンディアンに対応してあって、rubyで書いてある。
Exifの解析をrubyでやろうかなぁと思って、読み解くのが大変面倒なperlのスクリプトを眺めつつ、適当にrubyスクリプトを書き始めていたんですがいたけど、バイナリファイルの処理は書くのが面倒くさいという問題は、あっさり解決。しかもrubyで書こうかなぁと思っていたところ、全部rubyで書いてある。まさに感謝なのである。
ということで、うちのページデザインに合わせて、写真からExif情報を元に撮影データ付きアルバムページの雛形を自動生成出来そうな予感はする。(いつになるか知らないが) まぁこの辺をスタートにすれば個人的には遊べるかなぁ。うーん、最近ますますrubyが楽しいのよねぇ。
Meadow 1.99a6に切り替えてみたが、なかなか快適である。フォント周りの設定がいまいちわかっていないが、font-setup.elを不完全に使って、なかなかいい感じになっている。カラーのXFaceが表示できるようになって、いろいろびっくりであるのだが、Meadow 1.xと体感速度がほぼ変わらないという状態なので、まぁ満足ではある。少しずつ~/.emacsをカスタマイズしていこう。
僕はメール書きとWebページの編集にEmacsを使用しているが、メインに使っているWindowsの環境のみEmacs 20.7(Meadow 1.15)で、Linuxではずいぶん前にEmacs 21に移行してしまっていた。昨年後半からMeadowのEmacs21化が進められて実用的に使えるようになってきたので、そろそろ移行してダメ出ししようと思い立ち、移行に踏み切る。
まぁ特に問題ない模様。なかなか快適です。次はCygwin環境のEmacsの設定だな。
ま、まずい。ここの容量もいっぱいいっぱいになってしまったと思ったのであるが、画像ファイルの整理を行うことで半分以上空いた。Deeplinkだけでしか見えないページに、デジカメの未加工写真をおいていたので、引き上げることにした。 まぁそのうちうちのサーバを公開した時に見えるようにしておこう。(といっても、IPv6 Reachableでないと見えないのであるが…)
今日、NHK BS-Hiの「マエストロの肖像」と言う番組を見ていたら、今回はブロムシュテットが出演していた。番組でブロムシュテットは「音楽は自分を映す鏡である」と言っていて感銘を受けたのであるが、立場を変えて音楽を聴く人間から見ても、「音楽は自分を映す鏡である」のではなかろうか? 聴く人間の感性もまた人生経験に依存するのではないかと思うからである。僕はキリスト教とではないので価値観は違うかも知れないが、バッハの「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」、モーツアルトの「レクイエム」を聞くことによって得られるものは確かにあるし、感動もする。宗教音楽でなくても、ブルックナーやマーラーの音楽にも聴いていて素晴らしいと思う。ただ学生時代に聴いた印象と社会人になってしばらく立って聴いた印象も同じ指揮者同じ演奏で結構違う風にとらえていることもままある。そういう感性は、自分の生きてきた道のりにある程度依存していると思ったのである。まぁ音楽に限らず、映画にしても、絵画にしても、写真にしても同様なのであるが…
今日、ふと今後の銀塩カメラの使い道ってなんだろうと思ったのである。昨年の撮影結果を見ても銀塩で撮影したのは、プライベートに撮影に出かけたときにリバーサルが10本くらい使った程度で、他は全てEOS D30で撮影している。機会があったときに買い足しているフィルムの在庫は、Kodak EKTACHROME 100VSが10本程度、Fujichrome ASTIAとVelviaが数本ずつと言う具合なのだが、賞味期限はいつまでだっけ? 忘れてしまいそうである。(昨年はRAPは買い足してそれなりに使ったが、100VSは買い足していないし、使ってもいない。)
最近銀塩を使わない理由は非常に簡単で、_めんどくさい_からに他ならない。最近は本当に気合いがかなり乗っている撮影以外では銀塩を使わなくなってしまった。カメラの性能としてはEOS-3の方が、EOS D30より断然上なのであるが、Webに載せるためにフィルムスキャナを使って処理をするより、最初からデジタルで撮影した方が、ずぼらな僕にはお手軽なのである。写真技術的には、確認がすぐできて取り直しが効くと言うことから、照明が非常に難しい撮影の結果もすぐに得られると言うこともあって、いくらでも撮影の勉強ができると言う点も見逃せない。また撮影しながらいつもフィルム代だの現像代だの残り撮影可能枚数だのを考えて撮影するのは精神上よろしくないと言うのもある。(36枚撮りだったら、あと何枚くらいというのは体で覚えているのであるが。)
と言うことで、今後銀塩をどうしようか悩んでいるのだが、RVPのようなケバケバしい発色はまでデジタルには求めようがないのに、僕自身が取り憑かれている感じはするのでまだ銀塩は外せないし、所有しているレンズは35mm版の画角で選んでいるので、1.6倍になると全部望遠側にシフトしてしまうことから、広角な絵がどうしても撮れないと言うこともある。(EF 14mm F2.8Lは価格と使用頻度を考えても、買うレンズではありません。EF 16-35mm F2.8Lに買い換えるお金もどこにもないし。) と言う状況をふまえると、銀塩を必要とする撮影対象が非常に狭くなってしまった感はある。(EOS-1Dsみたいな35mm判フィルムと同サイズの撮像素子のデジタルカメラが安価に買えるようになると、もっと無くなるだろう。)
と言うことで、今後銀塩で撮影する機会がどのくらいあるんだろうか?なんて考えてしまうのである。前はずいぶんほしいと思っていたEOS-1VもEOS-1Dに比べればまったく魅力を感じなくなってしまったし、ぐだぐだ考えても余っている100VSをどうしましょうと言う問題はあるわけで、今後の身の振りをまじめに考えようかなぁと思うのである。(やっぱ銀塩EOSとおさらばして、銀塩で撮りたくなったらContaxとかLeicaに走れと言うことになるのかな?)