2004年09月05日 日曜日

大変な目にあってしまいました

一昨日と昨日に相次いで大変な目にあってしまっています。ショックが大きすぎてどうしましょうという状況です。いったん、メモだけ。
一件目は、メインのクライアントPC(2003年11月29日に購入したPC)が、うんともすんとも起動しなくなってしまった。一応CPUとマザーボードと電源を疑っているが、もっとも怪しいところではマザーボードかなと推論している。(しょっちゅうBIOS起動時にフリーズするので。) 現状どうにもならないので、部材を調達するまで、サブ環境に移行します。
サブ環境はまっさらな環境でキーボードの配列は違うこともあって、現状メールのチェックくらいしかできません。IMEをインストールするまで返信も結構厳しい状況なので、日記の更新も怪しくなります。写真のバックアップすらできないので、撮影活動も限界がすぐ来そうです。(昨日GT選手権でマイクロドライブの2/3程度使ってしまったので。) メールの返信など非常に遅くなりそうですが、ご了承ください。
2件目、7月10日に修理より帰ってきたEF 85mm F1.2Lであるが、7月のRANさんとの撮影時にAFが不調で様子を見ていたわけであるが、本格的にAFが故障しているということに昨日気がついて、修理に出しました。(泣) こちらは保障修理ですが、昨日のRQ撮影には多大な影響が出ました。(ほぼ全部300mmと24mmで撮影したので)まったく何とかならないものか…
ついていないときはついてないのう…

2004年09月04日 土曜日

GT選手権 Rd.5 ツインリンクもてぎ

今日はGT選手権ということで、こないだの研究室の飲み会でレースが見てみたいといっていた菊地君とレース観戦をすることになっていたのであるが…
さすがに当日集合だと厳しいので、菊地君には前日に来てもらうことになっていたのであるが… 夜12時を過ぎてもまるで来る気配がない。結局合流したのは午前3時過ぎだったが…
今回は予選だけの観戦だったのだが、RQを見たいということで、仙台方面からあゆみさんとniaさん、福島方面からkumanekoさんご夫妻と一緒に見に行きましょうということになっていたので、茂木で合流。(ピットウォーク券を前もってkumanekoさんに購入してもらっていてよかった。どうもでした。)
WRCがやっているというのに、この人の多さは何だという感じだったが、おそらく今年は富士スピードウェイの改修で関東方面での開催が茂木だけだったからかもしれない。RQの写真はあゆみさんとkumanekoさんの言われるがままに撮影。気がついたら結構な枚数を撮ってました。
予選が始まったあたりで皆さんとお別れしてレース観戦・撮影モードに以降。今日の予選はあいにくのお天気で予選が進むにつれてだんだん雨が降ってきて、レースとしてはなかなか見ていて面白かった。服部尚貴の追い上げがすさまじかったな。(雨の中をベストラップだしまくりだったし。) まぁ撮影は機材を雨から守るだけで結構大変だったけど。
帰りは渋滞が緩和するまでホンダミュージアムの見物をして、帰り途中からすさまじい土砂降りになったけども、何とか宇都宮経由で餃子を食べて、小山温泉で風呂に入り、自宅に帰りついた。結局時間がかなり遅かったので、菊地君は今日も泊まり。

2004年09月03日 金曜日

がーん、パソコンがお亡くなりになってしまったようだ…

今日家に帰ってきてみると、なんとPCが起動しません。正確に言うとBIOSが起動しない。うーむ、前から怪しげな動作だったがマザーボードがお亡くなりになってしまったのかな。帰ってきた時間がすごく遅くなったことと、明日は非常に朝が早いので途方に暮れそうだ。どうにもならないので、orchid(R3)に環境をいったん移動。(と言っても、sshでメール読み書きしているからputtyをインストールするか、Debianな環境からリモートログインでいいんだけども。)

2004年09月02日 木曜日

今日もプレゼン資料作成

今日で終わらせたいので、一気に作成。結局まだどちらにするか絞り切れていない。実験も進まないし、どうしたもんかのう。(実験が進まないともう片方は書けないんだってばっ。)

2004年09月01日 水曜日

今日は1日プレゼン資料作成

来週のための準備。2つ話せる内容を持っているが、どっちにしようかなぁと悩んでいて2つもプレゼンを作っているのだけど。まだどうしようかと…

2004年08月31日 火曜日

GT選手権に出かけるぞー

週末にもてぎで開催されるGT選手権に出かけるぞということで、撮影意欲が上がってきている。今回は長玉を借りてこようかなと思ったが、オリンピックの余波で出払っているらしいから、次回まで待ちとなった。できればEF 500mm F4L IS USMEF 400mm F4 DO IS USMか借りたいなぁとは思うんだけども…

2004年08月30日 月曜日

Debian GNU/Linux Expert

僕はすっかりデスクトップ環境ではDebian GNU/Linuxユーザなので、要らないかなぁと思っていたら、Java関連の記事もあるので買ってみた。DebianでJavaに関する優れたサイトはなかなか無くて、あったとしてもなかなか使うのが難しいと言うこともあり、記事にまとまっているとありがたい。この本は新しいバージョンであるSargeに対応しているので、これからDebianを始めようと言う人や、Debianむつかしいなぁと言う人は、この本を眺めて始めても良いんじゃないだろうか?

2004年08月29日 日曜日

デジタルに移行して、3年…

良く考えたら24日でデジタルに移行してちょうど3年になる。(D30を購入したのが2001年8月24日なのね。) まぁ節目なので、ざっくり振りかえってみよう…
本格的に写真をはじめたのは99年である。それ以前は趣味で写真と言うよりは何かのイベントや観光時に記念写真を撮ると行ったごく平凡な写真ライフで、でも使っていたのはマニア心を揺さぶる一眼レフタイプの初のメガピクセル機であるOlympus C-1400Lであった。(最初はデジカメだったんですよ。) ただしばらく使っているうちに、被写界深度を使った撮影ができないことに気が付き、デジタルを諦めることになる。カメラ雑誌を眺めているとデジカメだと絶対撮れないような作例が山のように乗っていたからである。
そこで、心機一転、銀塩を志すこととなる。ます最初に使っていたのはKissIIIで、付属の標準ズームレンズと望遠ズームの70-300mm ISですぐにでも手を出せる風景の写真を撮りはじめたのであるが、いまいち風景写真の撮り方が分からなかったので、被写体は迷走していた。それなりの満足があったんだけども。そのあと花を撮ってみるとかなり面白くなってきたのでマクロで花が撮りたくなったのと、KissIIIに100mmマクロ(旧タイプ)を付けてみると結構アンバランスなので、EOS-3に乗り換えようと言うことになった。(ちょうどその時に100mmマクロがUSM化されたので、結局100mmマクロは資金的な準備している間にUSMな方を購入することになったのであるが。)
乗り換えて1年くらい他のレンズを購入できなかったので、100mmマクロだけで撮影することとなる。ストロボもないので昼の間にがんがん撮ると言う物で、さらにこのころはフィルムも固定してRDP2を使っていた。今考えれば結構有意義だったかもしれない。(ということで、僕の標準レンズは100mmだし、フィルムはRDP2とかRDP3が一応メイン。)
そのあと花だけ写すにしてもかなり不便なのと描写の変化をあるレベルで楽しみたかったので、レンズのラインナップは17mm〜200mmまでF2.8で撮れるようにすると言う方針になった。
最初は良くあるパターンだが、当時切実にもっと望遠がほしくなったので、70-200mm F2.8を購入。当時F4のズームがなかったのと、IS化を待てなかった。買った季節にもよるがチューリップの写真が、撮りたかったのもあるし、ちょうどレース観戦に行くようになったころなのでレースの写真を撮りたくなったと言うこともあった。(RQの撮影にもだいぶん役立ったが。) あとフィルムの方はこのころあたりから、RVPが増えた。花やレース写真を撮っていると彩度の高いこのフィルムが麻薬的に楽しかった。
その次に2000年の年末に妹が結婚したので、結婚式スナップも撮らねばと言うことで28-70mm F.8を購入。これはこの手のイベントやポートレート、コスプレ系のイベントでずいぶん役立った。300mm F2.8を購入したのもこのあたり。冬に白鳥を撮りまくったのだけど…

そのあとCAPAで連載をされている馬場さんが講師として来ていたキタムラ主催のポートレート撮影会に行ってから、少しずつポートレートをはじめることになった。(ぐわー、このころはRealaACEなんか使ってますな…) まぁ当時は撮影会に行くことが多かったが、仙台コミケを介して少しずつ増えることになる。
その翌月、フォーミュラニッポンとポートレート撮影に出かけまくったこともあり、消費したフィルム・プリント代を計算すると大変なことになってしまったことと、この月あたりから残業規制が厳しくなりそうな感じだったので、ランニングコストを押さえると言う方向でEOS D30を購入。(この判断は正解だったのだが。) D30で画角が狭くなるので、17-35mm F2.8を購入。(16-35mmがでそうな感じだったけど、やっぱり待てなかった。) さらに長玉系の知り合いのかたから、50mm F1.4いらないっすか?といわれたので購入。これでしばらくおしまいにする予定だったのだけど…
デジタルに至る道はこんな感じで、僕の場合は元がデジタル。銀塩はその途中の寄り道だったわけだが、やっぱりデジタルに戻ってくることとなったのであるが、銀塩は銀塩でフィルムを変えれば同じ構図でもイメージは変わるし、いろいろ工夫もあって楽しかった。露出のコントロールをポジで学んだせいか、デジタルに戻ってきてからカメラの性能による露出のばらつきを感じることはあっても、おおむねコントロールできているので、銀塩を経験しておいて良かったのかもしれないと思っている。
さて3年経って結局デジタル移行で何を得たかと言うことだが、_ランニングコストを考えずに写真を撮れる_ことと_残り撮影可能枚数をあまり考えなくても良い_ことが大きい。単純に言うと撮影時の精神的な余裕を少し得たと言うことだろうか。写真の質という点では僕はD30の絵は好きだったし、キャビネサイズからW6切までは300万画素で十分なレベルであろうと思う。ただランニングコストと言うよりはトータルコストを考えると、3年で1台分(約30万円)だなと考えていたのであるが、結局3台分以上のお金がかかっているわけで、思惑通りだったかというとそうでもないような気がするのである。(結局レンズにもずいぶん投資したことにもなるので。)

2004年08月28日 土曜日

ジンギスカン! ジンギスカン! ジンギスカン!

今日は関東在住の大学時代に研究室が同じだったOBな方々とジンギスカン。前回ジンギスカンを企画したのは仙台で昨年の5月3日でした。
今回の参加者は、木嶋さん、廣長君、菊地君、松本君、僕の5人。2次会から小原君が参加。今回は後楽園の近くにあるジンギスカン屋でしたが、凄くリーズナブルで美味しいお店でした。久しぶりにジンギスカンを堪能してみなさん満足だった模様。僕は焼肉自身が久しぶりだったので、かなり満足。
みなさんの近況を聞きつつ、雑談を堪能しました。そういえば、廣長君に会うのは大学を卒業して以来かもしれない… また企画しましょう。

2004年08月27日 金曜日

長かった1週間も今日でおしまい

今週は火曜日に飲み会だったから本当に長く感じた。週の途中の変なタイミングで飲み会が入るとやっぱりきつい。通勤時間がかかるのだから、参加はちゃんと考えないと、週末にやりたいことにも手がつかないので、セルフ・コントロールをしっかりせねば。