2004年01月19日 月曜日

もうすぐじゃないですか…

来月の頭に結婚式に呼ばれているのであるが、今回は郡山で朝早めの集合になりそうなので、どうしても前日移動して宿泊することになりそう。(天候まで考慮して最善を考えると。夏だったらどうでも良いんだけど。) 仙台方面で参加する人が何人かいるのでどう行こうか検討しているのであるが、メールのやりとりだけではだんだん埒があかなくなってきているので、そろそろ方針だけでも決めちゃいたい。そんなわけで何人かに電話をかけてみる。水曜日あたりまでに何とかしたいなぁ。

2004年01月18日 日曜日

すべてやり直し…

カーオーディオをMP3/WMA対応プレイヤーにして以来、もう_MDはいらん_と言うことで、MP3かWMAを使う生活になった。前のプレイヤーがどっちも使えたので、リッピングした音楽は曲名などの情報に漢字を含む文字を入れてもOKなWMAでエンコードするようにしていた。こんな感じでレンタルで借りてきたCDや家のCDをひたすらリッピングしてWMAにしてきたわけである。(だいたい40枚くらいですか。)
新しい車でも聴けるかなぁと思っていたら、WMAはまったく使えないじゃないですか! ということで、今までの作業は_すべてやり直し_なのです。(リッピングしたままのWave Formatは残してないので。) まぁ前回のリッピング・エンコーディング作業との違いはPCが高速化されているということで、たとえば前回國府田マリ子さんのCDを10枚エンコードするのに数時間かかったが、今回は漫画を読みながらのながら作業で30分くらいしかかからなかったため、気をよくしてさくさくエンコードしてしまおう。

2004年01月17日 土曜日

昨日の作業の続き

昨日は慌ただしく納車だったので、実は抜け落ちていた作業があった。保険関係は昨日の内に作業は終わっていたので、乗る分には大きな問題はない。(家族限定(5%割引)を外して、車両保険の補償額の変更(180万円→340万円)を行って、元の保険料より290円/月安くなった。)
まず夏タイヤの運搬。これは営業さんに運んでもらった。タイヤの外形が大きすぎてやっぱり自分運搬は厳しいかも。(225/55 R16なタイヤは思った以上にでかい。)
あとRoadsterの写真を撮っていなかったので、わがままを言って洗車していただき、何とか写真を撮ることができた。(ありがたや…) まずRoadsterの写真から。背景は、まぁディーラーなので仕方ないか…
Roadster その1
真正面からのカット。なかなか愛くるしい顔立ちなのである。
Roadster その2
後方からのカット。このデザインがかなりお気に入りだった。なんとも美しいのである。
Roadster その3
10周年記念車のシリアルナンバー。20/7500である。ずいぶん色褪せてしまったけれども。霧が翌何とも若い番号だった。
Roadster その4
今まで乗ってきたRoadsterとこれから乗るRX-8とのカット。新旧交代という一期一会の写真。
Roadsterと一緒に写った最後の写真RX-8と一緒に写った初めての写真
車と一緒に写ってみた。(写真は営業さんにとってもらった。) なかなか自分と一緒に写っている写真はないので貴重なカットである。
RX-8 その1
RX-8の斜め前方からの眺め。思ったより大きめである。(3ナンバーなので当然か。) こうしてみると4人乗れるように見えないが、中は外見より広いと思う。あと外回りのデザインはRoadsterよりは近未来的で、なかなか格好いいと思うのである。
RX-8 その2
ドアを開けてみたところ。写真からも分かるように後部座席はこの段階で半分程度しか見えない。写真を写し忘れたが、後部座席は僕にとって快適とは言い難いが、運転席と同じ程度にホールドしてくれるシートがあるので、それなりに居住性は確保されていると考えて良いと思う。
RX-8 その3
コンソール周り。エンジンがかかっていない時はもやっと青みがかって見えるが、エンジンをかけると白い文字がくっきり浮かび上がって、なかなかクールである。営業さんによればFDの頃はこのメーター類はMazdaspeedからでていたオプションで、結構人気があったそうな。夜の配色はこのような配色にもできるし、赤い落ち着いた文字にもできる。この設定はなかなか秀逸であろう。
RX-8 その4
Roadsterと一緒に。上の写真の逆方向からの写真。こうして見比べると遠近感は別にしても結構大きさの違いが分かると思う。
RX-8 その5
エンジンルームの中。エンジンルームはこのようにカバーで覆われており、見た目すっきりしている。フロントストラットバーは標準で組み込まれている。カバーを外した写真はそのうち。
こんな感じで綺麗だった車も今日のドライブで…

2004年01月16日 金曜日

別れは突然にやってくるものです。

昼過ぎに買い物から帰ってくると、マツダの営業さんより連絡があり、「今日か明日納車でどうでしょう?」と言う話があった。ぼちぼち車検で新車を購入することにしたので、そろそろ連絡があるだろうと思っていたが、ようやく連絡があった。夜に仙台まで出かける用事があるので、今日これから受け取ってしまってもいいなということで、いきなり納車になった。前回のロードスターもそうだったけど、めんどくさいのでディーラーまで取りに行くんだけど。)
ということで、今日は天気がよいので家からディーラーまで最後のオープン走行を堪能することにした。オープンカーという物は夏の乗り物というイメージがあると思うけど、それは間違いで秋から冬の乗り物である。 はっきり言うと夏は暑すぎてオープンで走れない。意外に暖房の強度が強いので、足下は暑いくらいなので、助手席の人は何か膝にかける物があれば停車時も寒くはない。(走っている時は頭の上だけ風が当たるので寒いのですが、停車時は冷気が上方から降りてきてちょっと寒い。) 上着さえしっかり着込めば、案外快適である。
今日は快晴だったため、なかなか気持ちの良い走りだった。(オープンで走るのも結構久しぶり。) これでお別れとなるとなかなか寂しい物で、20代後半のいろいろと大変だった5年間に生きる楽しさを与えてくれた良い車だったかと思う。こんなに運転していて楽しい車はなかなかありません。 もしセカンドカーを持つことがあれば、1台欲しい車であることはたしかかも。と言うことで、5年間、どうもありがとう。

2004年01月15日 木曜日

今日は一日打ち合わせ

久しぶりに今日は関係する打ち合わせが全部行われたので、一日中打ち合わせでした。うんざりだけども最近話が理解できないような場合も結構あるので、ちょっと助かる。(仕事にはならないけど。)

2004年01月14日 水曜日

横書きと縦書き

今日、NHKの人間講座「日本語を問い直す」をちらっと見たのだが、そこで書家の石川九楊さんがこんなことを言っていた。まず元来日本語は縦書きで書かれることが原則だったが、横書きにすることで文字の形が変わってしまう。筆記具によって文字の形が変わってしまう実例を説明していて、なるほど_僕の鉛筆の持ち方が悪いのは、シャープペンシルのせいだったのね_と思った。シャープペンシルの場合は芯が細いのでどうしても鉛筆よりペンを立てて書かないと書きにくい。そのため人差し指が親指の下に潜り込む妙な持ち方に変わってしまう。(これは万年筆だと正しい持ち方になる。そうでないと書けないので。) 僕はあまり持ち方や書く方向による字体の変化が無いけれど、人によっては字体も変わってしまうような話をしていてなかなか興味深かった。
さらに縦書きで文章を書く時と横書きで文章を書く時は書く内容も変わってしまうと言う話もあった。縦書きの場合はおそらく書き言葉調、横書きの場合は口語調になると言う具合か。面白い切り口のような気がする。この日記もエディターで横書きで書いていることもあり、口語調。電子メールもたしかに口語調。手紙を書く時も一度エディターで下書きするので口語っぽくなる。と言う具合で、こういう視点で文章を書くと言うことを考えてみるのもひょっとしたら面白いかもと思った。(ではエディターでLeTeXで文書を書いて、縦書き出力をしたら、やっぱり横書き調の縦書き文書になるのだろうか…)

2004年01月13日 火曜日

服を買う

ここ数年(ひょっとしたら大学を出て以来)服を買い足すようなことをほとんどしていなくて、気がついてみると結構着潰してだんだんと着る服が無くなってきたようだ。(まぁ服を買うセンスがないのと、あんまりこだわりがないせいもある。)
今年は特に困った状態で、気に入ってきていた薄手のセーターとカーデガンに引っ掻いた大きな穴が開いてきたこと、数枚のシャツがすり切れてきたことなどもあって、ぼちぼち限界だなぁという状況に追い込まれてしまった。
ということで、今日はたまに買い物をしているUNIQLOで、セーターを2着、ズボンを2本、シャツを2枚ほど適当な好みで購入してきてみた。UNIQLO登場以前はいつも服を買う時に、ここまでお金を出すんかいなと呆れていたのだが、たしかにこれくらいのお値段だったら、適当に買えるかなぁ。ということで、来月からそれなりに服を買い足そう。なんだか靴もはきつぶしているしなぁ… だめだめだ、服装が貧しすぎるのは…
僕の日記の読者で、ここもリーズナブルだとか、おがわの好みに合いそうだとかいうお勧めが合ったら紹介して欲しい。(店に行って物を見るのは好きなんだが、店を探すのはめんどくさくて、そんなことに時間を潰すほど暇じゃないのよ。)

2004年01月12日 月曜日

久しぶりにLaTeXをインストール

広瀬さんの日記にTeXの話題が載っていたので、久しぶりにLaTeXをインストールしてみることにした。まぁLaTeXじゃないと書けそうにない文書はそれなりにたまっていると言うのもあるので、ちょうど良いかというきっかけだった。
ということで、家でもPDFを生成できるようになったのだが、久しぶり(おそらく7年ぶり)にLaTeXを触って思ったのは、_こんな物をよく使いこなしていたな_と思わざるを得ない奇怪なTeXマクロ(まだPerlの方がマシかも)とバッドノウハウとしか思えないソースの断片であった。自分の修士論文のソースを読んでも、よく書いたなというマクロのオンパレードでびっくりなのである。
しかも当時はちゃんとMakefileを書いてmakeしていたようだ。(platex main.texを3回実行するより、makeで一発というあたりを買っていたらしい。) なんだか昔の苦闘のかけらを掘り起こしたような気がする。とりあえず昔のIsing模型の勉強ノートとかこれから手を入れたい光学の勉強ノートとかを書いてみようかなと思う。やっぱり数式はTeXよねと言うあたりをPDFで表現できるかな。

2004年01月11日 日曜日

GNUの20年

ずいぶん前の話になるが、昨年はrmsがGNU Projectへの呼びかけ(翻訳,後の「GNU宣言」の元になる文書だと思う)から20年目の年だったそうな。昨年の9月末の話なので何をいまさらという話であるが、1月5日のNewsforgeにrms自身による「The Free Software Community After 20 Years: With great but incomplete success, what now?」という記事(和訳)が掲載されていたので、読んでみて思い出したかのように日記の記事にすることにした。
ソフトウェアにそれなりに踏み込んでつきあうようになると誰でもそうであると思うが、GNUの成果物の恩恵に預かっていることに気づかされることが多い。僕の場合は今年で11年目になると思う。最初の出会いはテキスト処理をするために使い始めたawkであるが、MS-DOSで使っていたので当然GNU版のawkであるgawk(の日本語版jgawk)だったように思う。当時書くのもめんどくさいテキストファイルのフィルタ処理がこんな簡単な言語でできるもんだと感動して使った記憶がある。(その後、awkの使いこなしでは師匠に絶対勝てねえと思ってperlを使うようになりawkを忘れ、今はテキストの処理の需要があまりないのでなんにもやってないが。)
その後、数値計算でCでプログラムを書く機会が多かった(Fortran嫌いなんで)ので、MS-DOSでMS QuickCを使っていた。Cを始めた頃はこの処理系でよかったが、当時積分計算をすることが結構多くて処理速度を稼ぐために最適化をかけたいことがよくあった。ただMS-Cのような処理系は_学生時代には絶対買えないお値段の処理系_(今も買えませんが)で、とても手を出せる状態にはなかった。またMS-DOSの制約以上の大きなメモリ空間を計算上必要としていたこと(こっちの方がより重大だった)ため、どうしてもMSのツールじゃ駄目だった。そんなときに大学のFTPサーバを覗いていて発見したのが、GNUのCコンパイラGCCのMS-DOS版であるdjgppでした。DOS-Extenderという妙な環境で動く何ともしれないコンパイラだったが、結構長い間愛用していた。
その後のLinuxの登場によりMS-DOSという妙な環境ではなく、何の制約もないUnix互換環境でGCCを使えるようになったので、ソースファイルごとLinuxの環境に移行してしまい、それ以来何かツールを作る環境はLinuxの上でやってきているし、こんな素晴らしいものはないと言うことでLinuxや*BSDの普及活動に時間があったら手間を惜しまず関わっている。まぁ最近はC/C++でプログラムを書くこともなくなったので、すっかり一利用者になってしまったけども。(お仕事上のVBAは除く。あれは選べない環境なので。)
最近の風潮ではGNUのGPLによる配付の縛りがきつすぎて、_GPL嫌い_な人を結構見かけるが、近年のオープンソースムーブメントのよりどころは_Linusによるバザール的開発手法の発明_とESRによる精緻な再定義によるものだとかんがえられる。しかし実際にはそれ以前の_rmsのFree Softwareの運動が基礎として存在_しており、GNU嫌いな人も_アンチテーゼとしての存在としてのGNU_なしには語れない訳だから、すべてに対して影響を及ぼしていると考えて良いと思う。改めて凄いことだと言わざる得ない。
さて、最初のrms自身の記事にもどるが、ちょっと過激なところはあると思うが大いに刺激を感じる記事かと思う。たしかに僕自身も特許やら企業秘密の中に生活している人なので、特許や企業秘密に依存するソフトウェアがどうしてもclosedでものでproprietaryな物にならざる得ないのは理解できるので、「Non-free software carries with it an antisocial system that prohibits cooperation and community.」は、ちょっと言いすぎだろうと思うが、先鋭的な意見を述べて戦い続けなければならない立場を考えると、確かにそう言い切ってしまわねばならないのだと思う。
さらに読んでいくと、

2004年01月10日 土曜日

FFXI三昧(4日目)

今日は_無為な4連休の4日目(最終日)_(悲)なので、気を取り直して_やっぱりFFXIで遊ぶ_ことにする。他にやることがある気もするが気にしても仕方ない… なんだか同じ書き出しだが、手抜きをしているわけではない。
今日は夕方から昨日の続きでラテーヌ北側の池でソロでレベル上げ、周りでは水エレがいるのにケアルをかけて、瞬殺になるPTが続出でみんな痛い目にあっておるのうと冷ややかに横目で見つつ地味にレベル上げ。なんとか夕食前にLv14になった。
食事を食べてから、さらに同じ場所でレベル上げ。相変わらず水エレで全滅状態になるPTが続出し、横見に見つつ蟹を狩る。なんだか時間が進むと人気スポットのせいか人が増えたので、ラテーヌ高原の奥のキノコさんでも相手にしようかと思ったけど、今のレベルでは微妙に苦しい。(なんだか毎回麻痺をもらってしまう。)
明日は会社だしそろそろ撤収かなぁと思った時に「砂丘で蟹狩りをしませんか?」というお誘いがあったので、12時くらいだったけど乗ってみる。だいたい時給1500〜2000くらいでしたかね。さくっとLv15になりました。全員が一通りLvアップしたところでおしまい。みんな撤収する方向が一緒だったので、サンドまでみんなで移動し解散となった。なかなか良い感じに戦えて良かったなぁと思いました。こういう場合のPTは何となく楽しい。明日以降はセルビナに拠点を移して、蟹さん、トンボさんというあたりをこなして、ジュノ再デビューといきたいところです。