統計

2002年03月11日 月曜日

今日はうんざり

今日はうんざりするほど某似非政治家の顔を見る羽目となった。証人喚問を見ていつも思うのであるが、国会議員の暇つぶしにしか見えん。こういう捜査・尋問は今の段階では国会議員のセソセイのみなさまには無理だとおもったりする。なにせあの程度の男を論理的に回答不能な状態に畳み込むことすらできないのであるから。
そういえば、この国には真に後世に名を残すに値する政治家はいるのであろうか。思うに少なくとも戦後においては存在していないと思う。政治家に必要な資質は何であろう。塩野七生さんの「ローマ人の物語」に引用されているイタリアの歴史教科書によれば、「指導者に求められる資質は次の5つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己抑制の能力。持続する意志。カエサルだけがこのすべてを持っていた。」とある。確かにこの5つを持っている政治屋はなかなかいない。今の国会議員をはじめとする日本の政治家のセソセイのみなさまはこの中の1つも持っていないのではないか。現在の政治屋の大部分が戦後教育によって育ってきている世代に入れ替わりつつあるなかで、こうしたていたらくを見せられ続けると戦後の教育ってなんだったのと疑念も沸々もたげてくるわけである。
優れた政治家の名を挙げよと言われたら、恐ろしいほど名が思いつかない。世界史の知識を総動員しても、僕にはローマ帝政を始めたユリウス・カエサルしか思い浮かばない。彼は近代民主主義の政治家ではないが、2000年後の世界を見て今なおその業績や影響が見て取れる政治家なのだから。「国家100年の計」ところではないのだ。(しかも2000年も読み継がれる散文を書き、素晴らしい演説を行い、軍人としても超一級の才能があるというのはやはり天才なのであろう。)
さすがに天才を求めないが、さすがに「記憶にない」なんて言う曖昧な回答をする政治家は必要ない。常人よりもしっかりとした記憶力が要求されるのではないか。我々はこういうところをしっかり査定しなければならないのではないかと思う。ただ査定する際に注意しなければならないのは、可能な限り視野を広げて先入観なしに政治家連中の姿・言行を見ていかなければならないと言うことかも知れない。そこで、カエサルの言葉で好きな言葉を引用すると、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」とある。今見えているのは我々が(ひょっとしたらマスコミが)見たいと欲している物だけしか見えていない感じはある。そういう点は冷徹に見直していかねばなるまい。

2002年03月10日 日曜日

文明の滅亡

今日の「知ってるつもり」から。「知ってるつもり」はその名の通り知ってるつもりのコメンテータが無責任な意見を吐く、批判的に見ればかなりおもしろい番組であるが、呆れた意見を吐く加山雄三が嫌いなのと、見るのが疲れる番組なのであまり見ていない。今日久しぶりに見たら、最終回スペシャルとか言う話で、「文明の滅亡」を題材に現代文明のあり方に警鐘を鳴らす内容となっている。最終回的まとめにはいるのであれば、警鐘を鳴らしてと疑問を問うというのはあるかもしれないが…
今回の見方としてはおもしろいとは思うが、かなり一元的ではあるし、言いたい結論を決めてからの議論なのでそういう意味ではおもしろくないとも言える。で、エジプト文明の「女性中心的価値観」からローマ帝政時代に取って代わって、「男性中心的価値観」への価値観の変容があって、その後今まで「男性的価値観」の自然などからの搾取構造が変わっいないと言う。現在のアメリカなどの言うところの「民主主義+資本主義」の行き着く果てに、搾取され尽くした自然がいずれ現代文明の滅亡を招くのではないかいう感じに読みとれる。
僕なんかが思うのは、別に文明が滅亡するのが必然であるならば、受け入れざる得ない。価値観を喪失して新たな価値観が台頭して旧来の価値観が変容して文明が滅亡するならば、それは文明の滅亡ではなく新たな価値観を持った文明の登場と考えたい。こういう価値観の転換というのはいきなり起こる物であって、案外相転移みたいな物と同じような説明ができるものなのかも知れない。ただ文明の交代があるとして問題なのは、その間には混乱と争いあり、停滞と貧困を生む。そっちの方が問題だとおもう。
そういえば、こういう話はアイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」なんかの考察が古いけれどもあって、こういうことを考えるのはなかなかおもしろい。僕はこの本を読んだあとに、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んでみたが、一つの文明・文化の興亡を見るのは、歴史の勉強では必要であると思う。生き方や考え方をいろいろと歴史から教訓を得るにはこういう風な本は良いだと思う。ただちと難しい本なので、僕は塩野七生さんの「ローマ人の物語」をお勧めする。日本人は歴史の教育で一つの国家・文明の勃興から滅亡までを一貫して教育されない。これは困ったことである。「平家物語」みたいな優れた文学があるのにもかかわらずである。こういう物の見方はあった方がよいと思うので、ぜひいろいろと本を読んでいきたい。そういえば、ハリ・セルダンの「心理歴史学(サイコ・ヒストリー)」はここの人間を相互作用する物としてとらえて、全体の系(銀河帝国)の振る舞い(歴史)を計算するという、統計力学的な学問だったなぁ。