BSD

2004年04月14日 水曜日

さよなら、Canna

もう10年位使っているのだが、Linux/BSDの上での日本語入力環境のうち変換エンジンはごく初期をのぞいてCannaである。実はあまりまじめに使い方を学んでいる訳ではないので、微妙に使いにくいと思うことが多い。例えばいま打っているような英単語を含む文章をの場合どうやったらサクサク入力できるか知らない。Frontend次第と言うのは分かっているのだが、あまりにころころ変えているので、調べる気力はすっかり失せているのである。
Cannnaの場合はFrontendの選択肢が多いせいもあって、なんとなくころころ変えていて落ち着かないと言うのもあって、なかなか使い方を覚えられないのである。Emacs21にしたときに、日本語の入力にいったん突き当たっていて、どうしたものか悩んだ挙げ句TCP/IP経由で使えるTamagoを使うことにしたのであるが、これってWnnを使うためのライブラリだと思うので、何を使っているのやらわからなくなってしまったのである。なんとなく入力できるのは、はじめてUnixを触ったときはWnnだったため、なんとなくWnnの使い方を知っているせいなのである。
高々日本語入力のためにポートを開けるのも、なんだか変な話であるのは違いないので、この際進化がほぼ止めっているCannaとおさらばして、変換エンジンにAnthy、入力システムにanthy-elを使うこととして全面的に切替えることとした。
若干使い慣れていないせいもあるが、なかなか感触がよさそうなので、これを機にまじめに使い方を学んでちゃんと使えるようにしておきたい。

2004年01月11日 日曜日

GNUの20年

ずいぶん前の話になるが、昨年はrmsがGNU Projectへの呼びかけ(翻訳,後の「GNU宣言」の元になる文書だと思う)から20年目の年だったそうな。昨年の9月末の話なので何をいまさらという話であるが、1月5日のNewsforgeにrms自身による「The Free Software Community After 20 Years: With great but incomplete success, what now?」という記事(和訳)が掲載されていたので、読んでみて思い出したかのように日記の記事にすることにした。
ソフトウェアにそれなりに踏み込んでつきあうようになると誰でもそうであると思うが、GNUの成果物の恩恵に預かっていることに気づかされることが多い。僕の場合は今年で11年目になると思う。最初の出会いはテキスト処理をするために使い始めたawkであるが、MS-DOSで使っていたので当然GNU版のawkであるgawk(の日本語版jgawk)だったように思う。当時書くのもめんどくさいテキストファイルのフィルタ処理がこんな簡単な言語でできるもんだと感動して使った記憶がある。(その後、awkの使いこなしでは師匠に絶対勝てねえと思ってperlを使うようになりawkを忘れ、今はテキストの処理の需要があまりないのでなんにもやってないが。)
その後、数値計算でCでプログラムを書く機会が多かった(Fortran嫌いなんで)ので、MS-DOSでMS QuickCを使っていた。Cを始めた頃はこの処理系でよかったが、当時積分計算をすることが結構多くて処理速度を稼ぐために最適化をかけたいことがよくあった。ただMS-Cのような処理系は_学生時代には絶対買えないお値段の処理系_(今も買えませんが)で、とても手を出せる状態にはなかった。またMS-DOSの制約以上の大きなメモリ空間を計算上必要としていたこと(こっちの方がより重大だった)ため、どうしてもMSのツールじゃ駄目だった。そんなときに大学のFTPサーバを覗いていて発見したのが、GNUのCコンパイラGCCのMS-DOS版であるdjgppでした。DOS-Extenderという妙な環境で動く何ともしれないコンパイラだったが、結構長い間愛用していた。
その後のLinuxの登場によりMS-DOSという妙な環境ではなく、何の制約もないUnix互換環境でGCCを使えるようになったので、ソースファイルごとLinuxの環境に移行してしまい、それ以来何かツールを作る環境はLinuxの上でやってきているし、こんな素晴らしいものはないと言うことでLinuxや*BSDの普及活動に時間があったら手間を惜しまず関わっている。まぁ最近はC/C++でプログラムを書くこともなくなったので、すっかり一利用者になってしまったけども。(お仕事上のVBAは除く。あれは選べない環境なので。)
最近の風潮ではGNUのGPLによる配付の縛りがきつすぎて、_GPL嫌い_な人を結構見かけるが、近年のオープンソースムーブメントのよりどころは_Linusによるバザール的開発手法の発明_とESRによる精緻な再定義によるものだとかんがえられる。しかし実際にはそれ以前の_rmsのFree Softwareの運動が基礎として存在_しており、GNU嫌いな人も_アンチテーゼとしての存在としてのGNU_なしには語れない訳だから、すべてに対して影響を及ぼしていると考えて良いと思う。改めて凄いことだと言わざる得ない。
さて、最初のrms自身の記事にもどるが、ちょっと過激なところはあると思うが大いに刺激を感じる記事かと思う。たしかに僕自身も特許やら企業秘密の中に生活している人なので、特許や企業秘密に依存するソフトウェアがどうしてもclosedでものでproprietaryな物にならざる得ないのは理解できるので、「Non-free software carries with it an antisocial system that prohibits cooperation and community.」は、ちょっと言いすぎだろうと思うが、先鋭的な意見を述べて戦い続けなければならない立場を考えると、確かにそう言い切ってしまわねばならないのだと思う。
さらに読んでいくと、

2003年12月31日 水曜日

今日で2003年もおしまい

毎年こんな見出しで大晦日の日記を書いているわけだが、こないだ2002年もおしまいなんて言う記事を書いた気がするのは気のせいか。今年は2度の地震と冷夏と暖冬(?)のためか、非常に忙しい上にまるで季節感を感じない1年で、時が止まっているかのような錯覚に陥るのである。でも、気が付くともう今年もおしまい。今年お世話になった方々はいっぱいいて名前を挙げきれないが、今年1年本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
ということで、大晦日と言うこともあって、行く年に思いをはせて、今年はどういう戦いの1年だったか、今年の戦術・戦略とその戦いの成果を主要な分野別にまとめておこう。(と、ほぼ去年と同じ文章にしてみた。断じて_手抜きではない_。)

2003年の総括

はじめに概況

2002年の活動に関するそれぞれの分野における戦術的・戦略的な戦いの概況を述べることにしよう。
今年も相変わらず、会社の状況は芳しくなかったせいか、個人的な生活は主に経済面において惨憺たるものであったと言えよう。なんとか給与カットが7月を持って終わったので、収支的には±0で何とか収まっているが、いろいろと我慢させられる1年だった。もうちょっと普段の生活を考えなくてもいい程度に収入があるべきだと思うのだが、まぁ_仕事があるだけマシ_か…

2003年10月23日 木曜日

NLUG解散の話

昨日、TLUC-MLで三浦さん聞いた話。名古屋のLinuxのユーザー会が解散したそうだ。(上記リンクもNLUGのページではないところに設定している。NLUGのWebサーバもいつまで動いているか分からないからだ。) こういう話は多かれ少なかれ、どこでも感じるところはあって_ついに来るべきものが来たか_と思っている。僕が参加している東北Linuxユーザ連合会(TLUC)もMLの流量と話題が寂しいし、Activeなメンバがほんとに少なくなってきているので。
ただLinuxに限って活動をするという風に考えてしまうと、どんなイベントを行ったとしても、なにもLinuxでなくても出来るという一昔前から見れば贅沢な状況になったこともあって、いろいろとLinuxのユーザー会という存在意義を問い出す事となり禅問答のように考え込んでしまうことになるのだが、NLUGでは解散という結論に至ったと言う事だ。自然消滅・休眠状態というところが多い中で、彼らはそれなりの議論をして活動のけじめを付けたのだから、僕はそれはそれで立派なことだと思う。まぁLUGの運営に参画しているという観点で物を言えば、同行者が一人いなくなるのはやっぱり寂しいものだけれど、時代の流れなのかも知れない。(もし贅沢な環境が衰退を呼んでいるとすると何とも悲しいのだ。)
まぁ数年前の各地LUG立ち上げ時は、インストールをネタにしたインストール大会みたいなイベントを行っていた(まぁ普及活動なんですが)こともあったが、今となってはどのディストリビューションを使ってもインストールが非常に簡単になったし、僕らが*BSDをつかっても簡単にインストールできちゃう。さらにKnoppixのようなCD起動のものが出てきたことがあって、現状で行う意味消失している事もあって、現状でLUGの活動の質的転換を要求されていると考えるべきなのでしょう。
Linuxにしかできないことに限って活動を展開するというのは、現状ではいろいろと非常に難しく、そういう方向だけを考えても仕方ないので、もうちょっと広く世の中を見ることにして、Linuxを介して集まった仲間と言う認識で活動を続けていくのが良いのかなと考えている。(何を題材に扱ってもできるけど、Linuxベースでやった方が自然という雰囲気を指向する。) そういう仲間で共有できるような題材があれば、勉強会やイベントのネタにつかっている状況で、一昨年はXML関連の勉強会、昨年はHTML関連の勉強会、今年はRubyやTCP/IPの勉強会を提案し実施している。(僕は企画した割に、忙しくて全く参加できず非常に悔しい思いをしているが、それでもみなさんに楽しんでいただけているようなので満足している。(こういう方向で質的転換を図っているのだが…)
こういう方向で物を考えているのだが、LinuxをはじめとするPU-Unixは普及活動期から、普及してしまった時期に入ったわけで、いろいろと価値観やら物事の進め方が変わってしまったも致し方ないものなのかも知れ無いなぁと思うわけだが、何ともとりとめがないのよねぇ。(考えはまとまらないし。)

2003年08月09日 土曜日

飲み会

台風接近という話もあったのだが、_暴風域が消失した_と言う情報を元に飲み会を実施。久しぶりにいろいろな話題で盛り上がる。ただ当初予定のジンギスカンが食べられなかったというのが残念であったが、_胃袋が焼き肉食べるモード_になっていたので、牛角にて焼き肉となった。いやぁ満足満足。

いろいろ検討

ここ数日考えざる得ない自宅用の次期メインPCの件だが、やっぱり_CPUは2発以上_と言う構成は譲れない。と言う話で、ASCIIを立ち読みしたら、_Xeon x 2_で結構安上がりに仕上がるじゃん。しかもHTだから、4発相当ですかぁ。これはもう_ロマンの世界_ですな。
と言うことで、楽しい妄想にふけってしまうのだが、WindowsXPでXeon2発なPCか、BSD(NeXT)でPPC2発なPower Macかという悩みでしばらく楽しめそう。ただWindowsはお仕事で使う以外には非常に評価が悪いOSなので、お値段が倍以上でもPower Mac G5 Dualなのかねぇ。(いずれにしてもMacOSX 10.3の登場以降まで待てるのであるが…)

2003年08月07日 木曜日

もう秋なのかねぇ

梅雨明け宣言が出た割には、全然晴れませんし、じめじめした涼しい日々が続いている。気が付いたら今日は立秋だそうな。九州の方は勢力が非常に大きな台風が来襲で、いかにも秋の台風のコースを通ると言う感じだから、今年は夏は来ないのかも知れません…
夏が来ないのはまぁ北国人としてはどうでも良いんですが、気も晴れないので憂鬱な日々が続いていますねぇ。体調もいまいちだし。

さらば、青春の日々(なのか?)

PC-9800シリーズ受注終了のお知らせだそうだ。その存在に賛否両論はあると思うが、一世を風靡したアーキティクチャの終焉を見るに付け、_諸行無常よのう_と言う感慨にふけっているのは僕だけではあるまい。
大学に入学したときに買ったパソコンは、i386DX 20MHzのPC-9801 DAでMS-DOSでは随分お世話になったPCでした。このパソコンで僕は、MS-DOSで随分遊び、Cと構造化Basicを覚えたので、今考えると随分使い込んだものです。そのあとi486 25MHzを搭載したEpsonのPC-486GRに移行しましたが、こっちでも随分Cでプログラムを作ったものです。結局PC-9801シリーズと互換機を使っていたのは5年間でしたが、得たものは大きかったかもしれません。今よりも何にも出来ないパソコンでしたが、そのかわり_自分でいろいろいじる自由_があるパソコンでした。
PC-486GR以降は、PC-ATな道に引きずり込まれ、IBM Aptiva 720(i486DX4 100MHz)、Gateway2000 P6-266(だっけ? Pentium2 266MHzあたりをつんでたの)、自作PC(Pentium3 500MHz)とデスクトップを変遷し、そこで終焉。今はすっかりノートユーザですね。
さすがに99年に購入したPentium3 450MHzのマシンをメインに使っていると、限界を感じる今日この頃(CD-Rも時々お亡くなりになるしね。)なので、そろそろ新メインマシンを選定せねばならないのだが、今のPCならどれを買っても2年使い込んでも大丈夫な気がする(今のPCはすでに3年半以上使っている)ので、そろそろお金もないけど買い換えかなぁ。今の選定機種のトップは、Apple Power Mac G5だったりする。当然G5-Dualである。 PhotoshopがつかえるBSDってこれしか選択しないでしょうと言うことで。(家に帰れば、PhotoshopとGNU Emacsを使う時間がほとんどという人生なので、MacOSXという選択肢は大いにあるのです。) x86ともお別れになれるかな?

2003年07月16日 水曜日

GNU R

まじめな統計計算を滅多にしないので、Excelで十分かと思っていたが、ずいぶん前から直らないバグが結構あり、場合によって_Fatal_なので、Excelでの統計計算にあきれていた。かといって、proprietaryな統計計算パッケージ(たとえばSとかS Plusとか)は非常に高価で入手不可能であるため、Excelを我慢してうまく使い続けてきたが、GNUのSとも言うべきRの日本語化が結構な勢いで進んできたので、これはしたりと思ったわけである。Rって何?と言う人もいると思うので、以下にR Projectのページに載っている説明文を載っけてみる。

2003年04月24日 木曜日

デジカメに眠っている画像が最近多いなぁ。

デジカメになって以来困っていることなのであるが、_撮ったままの状態になって省みられていない画像_があまりに多い。うちの今の状況で1.5GB程度、1600個ほどのファイルが未処理で残されている。PCで画像を見るのはそれなりに時間がかかるので、おっくうになりなかなか見なくなるという話なのだが、なんのためにデジタル化しているのか分からなくなってくる。
まぁ僕の場合PCが非力(うちのPCは1999年冬に購入したMobile Pentium3 450MHz)なせいか、350万画素のEOS D30の画像ですら、500枚を越える処理はかなり厳しい。まして600万画素機のEOS 10Dの画像処理をどうしたものかと考えてしまう。そういう状況なので、やっぱりPCはそろそろ買い換えの時期に来ている気がするのだが、買い換えるお金はないしどうしたものか悩んでいる。
これを機会に_Photoshopが使えるBSD_であるPower Mac G4も良いなぁと思うのだが、いかんせんお値段が高すぎる。(欲しい構成で30万円を超えるのは厳しい。) 買うならDual G4になっちゃうので、やっぱり手が出ないなぁ。MaxOS9までは食指も延びませんでしたが、MacOSXは非常に良いなぁと思ってはいるので、やっぱほしい一品ではある。
ま、現実的にはWindowsが動くデスクトップPCになるんだろうか? 費用対効果を考えてもこっちが安いし。(こっちは欲しい構成で20万円程度か…Nanaoあたりの液晶ディスプレイ付きで買わないとならないので。)
IXY-Digitalの中に眠っていた先週撮影した写真を掲載してみる。まだ春の風景という感じではないが、久しぶりに撮影した夕日の写真である。ちょっと絵画っぽい感じかな。光を取り込むような写真を撮ってみたいなぁと思うのである。(ちょっともやもやもやという風に見えなくはないけど、MonetのImpression: soleil levantは好きな絵なので、この絵を見た影響って言うのは有るものよね。僕に絵心はないけれど。)
「印象」風?

2003年01月01日 水曜日

今年もみなさまよろしく。

ここを読んでいるみなさん、昨年は本当にお世話になりました。ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。ということで、「一年の計は元旦にあり」とのことなので、今年はどういう戦いを展開するか、今年の戦術・戦略を主要な分野別にまとめておこう。(今年は喪中のため、年頭の挨拶はこの辺で)

2003年の展望

はじめに、概況

2003年の活動分野における戦術・戦略に関する展望を分野別に述べることにしよう。昨日の文章をアレンジして書いているので似たような展開だが、去年の延長線上にある訳だから。
経済的な状況に関しては今後も流動的。抜本的に良くするには転職するしかないと踏んでいるが、めんどくさすぎるので、どうするのかよく分からない。まぁ将来のことも考えて行かねばならないし、そろそろ貯金とかもしなければと思わないでもない。別に何か当てがある訳ではないのだが。
最近体調をことに壊し気味なのと太り気味(おそらくストレスから来るものと思うが)で、食生活を改善せねば、どうしようもないな。とりあえず5kg程度は痩せないとなぁ。着る服が無くなってしまう。と言うことで、注意することとして、最近壊れ気味な精神状態も何とかせねばなぁ。

2002年12月29日 日曜日

忘年会 兼 なすさんの誕生会

今日はカレンダ上、最終出勤日で立ち下げ日である。例年であるが、職場の親しい仲間内で忘年会をするのが通例となっていて、今年も参加。この忘年会は同じ職場の_なすさんの誕生日に当たるため_毎年お祝いなのである。今回は焼き肉屋でおなかいっぱいになるまで食べ尽くしたと言う感じであったが、実にうまかった。また楽しかった。来年もみなさまよろしくお願いします! と言うことなのです。
帰りは高速道路が通行規制になっており、大渋滞。普通なら30分弱位なところが、1時間半もかかった。かなりきつい帰路であった。