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2005年01月08日 土曜日

買物

何とか平熱に戻ったので、外出して買物など。風邪薬もようやく買えた…

宇宙のステルヴィア

面白そうだと言う話を聞いていたので、DVDを3枚程借りてみてみた。見てみた感じだけど、絵を除けば良いと思う。最近のアノ系の絵は何とかならないものか。話の筋は良いと思うので凄く勿体無い。(見ているうちに気にならなくなったが。) 今月のうちに一気に見てしまおう。
ちなみに、みずへび座β星(β Hyi)は確かに太陽系から21光年のところにあって、日本から見ることのできない南半球にある星で、絶対等級は+3.7、スペクトルはG1型で主列系星にある星で、ほぼ太陽と同じ大きさで同じ年齢の星であろう。無論、こういう星は超新星爆発せず、星の寿命が近付いて赤色巨星になった後に表層のガスをゆっくり放出して、惑星状星雲と白色矮星となる。(僕の知識が正しければだが…) まぁ高々知れた人類のタイムスケールの間には、超新星爆発どころか、何の変化もないでしょう。
無論、どかーんと爆発させるにはSFな兵器であれば、古くは宇宙戦艦ヤマトIII(TVシリーズ)の惑星破壊ミサイルを打ち込むとか、Andromedaのノヴァ爆弾とかを使えば…
勉強ついでに、みずへび座(Hydrus, Hyi)は日本語的にはみずがめ座(Aquarius, Aqr)と聞き分けしにくい。また学名のラテン語的にはうみへび座(Hydra, Hya)と間違えやすい。(Hydraは女性名詞、Hydrusは男性名詞) 恒星の名前を書く際にみずへび座β星(β Hyi)みたいに書くわけだが、今にしてみれば星座名は略号でしか書いたこと無かったが、この場合は属格に活用してβ Hydriとなるのですね。天文屋さんは大変ね。ラテン語の名詞活用を覚えないとならんのだから。(こんなの調べればいいだけです。)

2005年01月04日 火曜日

顧客満足度

帰りの飛行機は朝早い飛行機でしたが、空席の関係でスーパーシートなる席で帰って来てみた。正直1割も運賃がかかるとは…と思っていたのだが、予想以上の対応で満足してしまった。 新聞を読み終ったなあと思ったら、替えの新聞を持って来るし、飲物を飲み終ったら「おかわりは必要ですか」と聞いて来るし… 席にはゆとりがあっていい感じだし。超割などのサービスを使わないんだったら、片道はスーパーシートでいいな。

2005年01月01日 土曜日

あけましておめでとうございます

ここを読んでくれているみなさん、僕の写真を楽しんでくださるみなさん、昨年はお世話になりました。今年も変わることなくよろしくお願いします。毎年同じですが、「一年の計は元旦にあり」と言うことなので、今年はどのような戦いを展開するか、「戦いの軌跡」と言う題にしているので、戦術や戦略についてざっくりとまとめておこう。

2005年の展望

はじめに概況

2005年の戦いを進めるために、昨年の反省点を元にまぁいろいろ考えてみよう。昨年の正月同様前の会社の上司の言葉を借りることにして、本業もプライベートも_攻めと成果_にこだわっていこうと思う。ぼちぼち今の生活に落ち着いてきた感はあるし、今年の前半のうちに大分いろんなことがやりやすくなると思うので、新しいことに手をつけていきたいと思っている。

2004年12月31日 金曜日

今日で2004年もおしまい

毎年こんな見出しで大晦日の日記を書いているわけだが、ついこないだ2003年もおしまいどころか2002年もおしまいなんて言う記事を書いた気がするのは気のせいではない。今年は転職・引越しと人生の転機となる大きな変化のあった1年で、住環境や人間関係もがらっと変化して、めまぐるしい変化があった1年だった。気が付くともう今年もおしまい。今年お世話になった方々はいっぱいいて名前を挙げきれないが、今年1年本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
大晦日と言うことで、行く年に思いをはせ、今年はどういう戦いの1年だったか、今年の戦術・戦略とその戦いの成果を主要な分野別にまとめておこう。(と、ほぼ毎年と同じ文章にしてみた。こういうのは毎年そろえておいたほうがよいもので、断じて_手抜きではない_。)

2004年の総括

はじめに概況

2004年の戦況がどのようなものであったか述べていくことにする。前の会社の上司の年賀状には_今年は攻めと成果_と書かれていたのだが、個人的には攻めに攻めた1年だったかと思う。アクティブに変化を求めて行動したが、いまいち成果があったとはいえない。まぁ来年あたりから取り返していきたい。今年から技術系よりは研究系に寄った立場になったので、より注意して形になるように成果を残さねばと思うのである。(これは特に本業について言える話。)
経済的な状況は現段階でほぼ解決した状況(今年はでかい収入と出費があって、これまでのごたごたはほぼ解決したといってよい) 今後は多少余裕はできると思うので今年あたりからちゃんと貯蓄に励もうと思う。なかなか自力で解決できないのだが、残りは車のローンくらいだし…

2004年12月27日 月曜日

森岡 浩之 / 「星界の戦旗 IV 〜軋む時空〜

購入したのは23日だった気がするが、今日読了。長らく待たれていた新刊で約4年ぶりですか。これに合わせて星界の紋章から再読したのであるが、星界の紋章の第1巻の発売月はグインサーガも同時に出ていて、グインサーガは当時51巻目画発売されたころ。今月発売分が98巻だからまぁいろいろあったが、読者をここまで待たせる作家って言うのはどうだろうか? (でも、田中芳樹の「タイタニア」シリーズよりはましか…) 今回は次に続くような話で終わっているので、次の待ち時間が短いとよいなぁ。
内容であるが、世界観や主人公たちの紹介が一通り終わって、本格的に《アーヴによる人類帝国》と《4カ国連合》の戦いとミクロに見ればスペースオペラ色が強くなってきて、面白くなってきたかも。今回は表に出て来なかったハニア連合からの意外なゆさぶりからスタートであるが、次巻以降どのように展開するか楽しみである。
僕自身は話の筋を楽しんでいるのだが、アーヴ語になじめないので、あの読みにくい振り仮名やいちいち仰々しい肩書きをある程度はしょってくれると非常にありがたいのだけれど。(トールキンのシンダール語も厳しいものがあるが、あれは付き合い長いからなあ。多少ボキャブラリが増えていて読めるという感じはある。アーヴ語はぜんぜんなじめない。)

2004年12月23日 木曜日

お掃除 その1

年末も差し迫ってきたので、お掃除の一環として、クローゼットの中の掃除と、布団を干してみました。(晴れて完全に休みの日が久しぶりだったので。)ちょっとすっきりしたようです。週末は本格的に掃除したいな。

年賀状

今日は朝起きて掃除をしつつ、年賀状書きでした。とりあえず今年は自動両面印刷できる環境になったので、全部で7種の図柄のバリエーション、2種類の宛名面のバリエーション、インクジェット紙の年賀状と光沢紙の年賀状という組み合わせ(結構な場合分けだな)をやってみました。結構簡単にできる物で、何とか半日で投函にこぎ着けた。全部で85通(うち光沢紙版は35通)で、一部の人を除いて非常にシンプルで綺麗な仕上がりになりました。新しいプリンタは素晴らしい。今日の印刷でならしは完了。今日投函分は日本郵政公社曰く元旦に着くそうなので、届きそうな人は楽しみにしてくださいな。

2004年12月20日 月曜日

神月 翠さんと撮影に出かける

久しぶりに仙台に遊びに来たので、冬の仙台での街角ポートレート撮影ができるといいなと思って、今回は神月 翠さんをモデルに撮影になった。
今回は月曜日にスケジューリングしたので、公的な施設は閉館日が多く、どちらかというと街中での撮影がメインとなったが、仙台に住んでいたことは思いつきもしなかったるーぷる仙台を使うことにして、定禅寺通りからスタートし、光のページェントで閉めるという、仙台を観光してみることにした。(結局瑞鳳殿くらいしか開いてなかったが。)
朝から雨が降っていてなんだか雲行きは怪しかったが、撮影を開始したころには雨もやんで、午後はちょっと陽も出てきてよい撮影日和となった。(程よい日差しのほうが綺麗に写るので) 一日気ままな散歩となった。快く撮影に応じてくれてどうもでした。アルバムは後日まとめてアップされる予定。(まだ未処理の写真が12GBもあるのです。)
神月 翠さん(その1)神月 翠さん(その2)神月 翠さん(その3)神月 翠さん(その4)神月 翠さん(その5)

2004年12月18日 土曜日

亀井さん・白戸さん結婚式

今日はLinux関係の知り合いでいろいろと付き合いがある亀井さん・白戸さんの結婚記念パーティということで、仙台方面の方々(HolonLinuxなみなさん、TLUCなみなさん)と披露宴ならぬお食事会でした。
久しぶりに仙台方面の皆さんにお会いしましたが、亀井さん一人だけが_恐ろしく健康的になっていた_のは気のせいだろうか? これも奥様の手によるものだろうか、げに結婚とはすごいものだ。ということで、末永くお幸せに。
亀井さん・白戸さん結婚式
この記事は下書きです。後日追加される予定です。

2004年12月08日 水曜日

中学校も閉校

通っていた高校が閉校したのは何年前だったか… 確か大学の3年次のことだから、1994年の3月だったと思う。(1年くらいの誤差はあるかも) 通った学校がこのようななんとも言えない宿泊施設に変貌してしまうとは思わなかったが、そんな話があったのは10年ほど前の話である。ついこないだと思っていたことが結構昔であることに衝撃を感じる。
先日口頭で聞いていたが、中学校もついに閉校になるとのことで、正式に学校から閉校式典の案内が送付されてきた。高校のときと違って遠くに住んでいることから行くことはできないが、子供のころの思い出がある場所が失われるのは悲しいことだ。まぁ僕自身が故郷を捨て出て行った人間であることもあり、超過疎化に加わった人間であることから偉そうなことはまったく言えないのであるが、なんとも言えない寂しさと喪失感が不意にやってきたという日であった。
小学校は統廃合の荒波を潜り抜けたようなので、次になくなりそうなのは、国立大学法人になって、これからいくらでも影響を受けそうな大学であろう。もうここまできたら、大学がなくなっても驚かないと思うし、あってもおかしくないと思っている。まぁどうなるかここ10年を注目しておこう。

2004年12月01日 水曜日

SEMICON Japan 2004

一応お仕事柄こんなイベントに出かけてきました。おそらくSEMICON Japanに行くのは3年ぶりだと思う。今回は本業のセッションの聴講が目的だったわけだけども、やたら悲観的な報告が多かったように思える。乗り越えるべき技術的な課題というかハードルは高いかもしれないと認識を新たにする。当然来週は忙しい中、報告書を書かないといけないんだな。そこが面倒。
あとずいぶん前からお知り合いの営業さんたちにご挨拶してきました。まぁ順調にやっておられるご様子で、一安心。