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2002年08月03日 土曜日

Formula Nippon Rd.6 Sugo 予選

今日は菅生にフォーミュラニッポンの予選を見に行った。一緒に行ったメンバーは、あゆみさんと関東からいらっしゃったののさん、TOSIさんとたんないさんです。今日は予選のせいか、おねいさんがほとんどいなくてみなさんにガッカリさせてしまったかなぁ。
今回は低速なシャッター速度にチャレンジしたため、1/45とか1/90とかでばしばし撮ってみる。さすがに流し撮りに慣れてきたせいか、1/90でも結構歩留まりが期待できるようになったが、1/45は全然だめ。と言うことで、1/45でうまくいった写真を以下に公開。今月の写真にも取り上げてみました。
Formula Nippon
EOS D30 / EF 300mm F2.8L (シャッター速度優先AE 絞り F11 シャッター速度 1/45) / WB: 曇天 / ISO 100 / 菅生サーキット SPコーナー・スタンド

2002年08月01日 木曜日

いろいろと当選

ここに来て、良くも悪しくもいろいろなものに当選もしくは当選確実という感じ。まず一件は、Open Source Development Network(OSDN)のアンケートで景品が当たってしまったらしい。あと会社の労働組合の方でやっている明日の菅生のFormula Nipponの招待チケットの抽選に当たってしまった。これは嬉しい。
当選確実という線では、当たりたくないものに当たってしまった感がある(そのうち明らかにします)ので、この際宝くじを買えば、良いあたりが当たるんではないか?と思う今日この頃だ。

2002年07月19日 金曜日

厚生年金・社会保険がらみの手続き

今日は社会保険・厚生年金関連の担当者が岩見沢からやってくるという事で、早速手続き。行なった手続きは遺族年金の申請・今月までの厚生年金の支払いの口座変更・火葬埋葬料の支払いの申請・高額医療費還付請求の申請と言ったところ。事前に必要な文書は、故人と受取人の戸籍謄本と住民票・死亡診断書の控え・医療費の領収書・年金手帳と言ったところ。社会保険庁の窓口に問合せると親切に教えてくれるので、前もって必要な物を聞いてから出かけると話が早くて済む。
とりあえず、北海道にいてやるべき事は大体おしまいと言うところ。あとは父が経営していた会社の整理くらいか。こっちはもう少し見通しが立ったところでいいや。(と言うか何をする必要があって、今までやり逃している事があまりにも多くて、すぐに手がつかない。)

2002年07月18日 木曜日

今日は所要のため札幌へ行く

今日は所要(戸籍謄本(うちの本籍地は札幌市)の取り寄せと父の車の処分の準備)のため、札幌に行った。札幌によく行っていたのはもう10年くらい前だけれども、あまりの変わりようにびっくりである。札幌ドームが出来たせいか、月寒あたりがすっかりでかい町並みになっていて、一体全体どうしたものかと思ってしまった。

バグを出さない?

北海道に戻ってくる時に暇つぶしに購入した 「日経ソフトウェア 2002年8月号」を時間が出来たのでつらつら読んでいるのだが、あまりにもつまらん。仙台空港で売っていた開発系の雑誌ってこれしかなかったので仕方なく買ったのだが、やっぱダメだ。僕の性に合わない。
特集は「バグを出さないプログラミング手法」と言う事なのだが、なんか違うような気がする。バグってなんですか?と言う問いをちゃんとしておかないと、禅問答のような物になってしまうのではないか?
僕は、バグって言うのは仕様と実装のずれと言う認識を持っているのだが、こう言うのは人間が考えて作っていくものだから良くあるものとして捕らえて、自分が書いたソースを見て、ひたすら可読性をあげるとか、再利用性をあげるとか、可搬性を高めるとかいった努力と副作用のない仕様をきちんと書く(考える)能力が必要なんでないのと思ったりしたわけだ。だから、「バグを出さない設計」ではなくて、「バグを直し易い設計」をどうするかと考え直すべきではないかと思うわけだ。あまいですかね。
Extreme Programming(XP)で言うところのRefactoring(プログラムの外部仕様を変更せずに、内部構造を安全に変更する事(でいいのかな))に関しては、方法論としては面白いと思うし、よくやる事なので体系的に勉強してみていいかもと思ったわけだけども、この手の雑誌で斜め読みじゃ駄目だな。ちゃんとXP関連の本を読みたいのう。
それにしても、Windows系の開発関連の記事でよく見かける「ハンガリー記法」(例えばint型の変数名には接頭辞iを付けるとか言う奴)なんですが、使っているものなのか? こんな物を使わなくても可読性の高いコードを掛けるような気がするのは僕だけなのかな? 誰か教えて! あとC++のSTLを使っている場合って、doubleのArray型とかが書けるんですが、この場合の接頭辞ってどう付けるのさ? と言う事で簡潔な物で良いんじゃないと思ったりしたわけだ。

2002年07月17日 水曜日

建物の査定に立会い

うちの実家の付近は、道道拡幅のため立ち退きになるらしいので、そのための建物の査定が今日行なわれた。父が存命であれば、父の立会いで13日の予定だったが、こんな状況なので順延となっていた。うちの実家に来た事がある人は、こんな複雑な構造の建物のマッピングをするなんて。と思うような内容であるが、無事終了。あとはうまく立ち退きが決定する事を祈るばかり。思い出がある家で、ちょっとさびしい気もするけれども。

散髪

さすがに髪の毛が伸びてきて邪魔になってきたので、散髪に出かけた。さすがにすっきりと言う感じ。

2002年07月16日 火曜日

後片付け

苫小牧の王子総合病院に治療費の支払いに行った。さすがに高額な医療を受けたので、保険適用で11時間の治療でも気が遠くなるようなお値段。健康保険の高額医療還付を使って取り戻さないと大変な事になるので、いろいろと手続きの準備を行なう。なおうちの健康保険は社会保険なので、市役所では手続きが出来ない。まぁめんどくさいのは、お役所ならではのお仕事振りだ。

宇多田 ヒカル / DEEP RIVER

妹が聴きたそうな事を言っていたのと、宇多田ヒカルのアルバムは僕は欠かさず聴いているので、購入してみた。前のアルバムの方が良かったかなぁ。(まだあんまり聴いていない。なんとなく実家に忘れていきそうな気配ではあるけれど…)

2002年07月15日 月曜日

連絡手段の確立

Internetをつかって連絡する手段があまりに不便なのでWebサーバへ接続するためにTeraTerm+TTSSHとFFFTPを妹のパソコンにインストール。とりあえず日記を書く事ができる環境を構築したので、9日の日記を執筆。メールはクライアントのインストールが面倒なので、いったんHotmailというこれまた妖しげなWeb Mailを使う事にしてみた。とりあえず、夕張はかなり田舎だけどもADSLになっているのであるが、自宅よりも環境が贅沢なのがなんとも…

2002年07月14日 日曜日

親戚の皆さんを千歳空港までお見送り

おがわの方の親戚は全員飛行機で帰る事になっていたので、何かと移動手段が限られている夕張から、千歳空港まで車で見送る事になった。みなさん一様に気を落とされていましたが、死んでしまった人は帰ってこないので、残されたわれわれはこの喪失感を埋めるべく、毎日一生懸命生きていきましょうと、思ったわけである。

2002年07月13日 土曜日

告別式を行なう

告別式を執り行いました。告別式にも多くの方々に参加していただきました。本当にありがとうございました。

2002年07月12日 金曜日

さらなる闘い

大叔父が夕張市長に会うと言うので、昨日のやり取りから何を言い出すのかさっぱり予想がつかないので、僕も同席する事にした。今回の話をしに行くのに、自分の子供から紹介するものか、「あーあ」と思ったのだが、じっと我慢してみた。で、市長とは最近の体調と現在の市の状況をさらりと聞いて、僕らの境遇のたしにはならなかった。
市長の話を聞いていたのだが、やっぱり夕張の中しか見れない人の発想は貧困だ。何でもやりたがるワンマンな手法と言うのも問題があって困っているところ。現在進めている区画整理事業はマクロな視点で見た場合には僕も正しいと思うし、廃墟となってしまった昔の炭鉱の住居跡を残しておいても仕方がないと思う。そういうものを一つずつ整理していった地道な成果は僕も認めているわけだが、区画整理事業と言うのは単に住んでいるところのすげ替えだけでは片手落ちである。多少ミクロな視点での経済圏を見た上で、上手く行くような方法を考えられる人にまかせて進めるべきと僕なんかは思うのだが、なんでも自分で仕切りたいと言う市長の性格と、経済的な思考が全く抜け落ちている点が彼の限界かなと思うのである。
お金をかけている割に上手く行かないのにはそれなりの理由がある。それは今夕張市で行なっている第3セクターの事業に関しても同様である。何だかぼろが見えすぎて、預託金と地盤があったら僕に市長をやらせてくれと思わずにはいられないが、財政再建団体にいつなってもおかしくない自治体だから、次の代では合併を前提とした広域行政とかそっちの方を指向すべきじゃなかろうかと思うところであるが、どうなるんかなぁ。
帰ってきたあとに、昨日のやり取りがまずかったと思ったらしく、フォローをするような話を大叔父がしてきたが、その内容の不味さに激昂してしまった。昨日僕らが言った事や僕が丸く話を納めてやった事が、まるででわかっていないらしい。と言う事で、もう今後は無視する事にしてしまった。親戚付き合いが切れるのは、案外こう言うところからかもしれない。(まぁ他にもここの場合切れる原因はあるし。) 何を言っても解ろうとしない人に何を言っても無駄。そんなに僕は暇な人でないのだから無視したほうが賢明。それにしても一番近くに住んでいる親戚なのであるが、これからの親戚付き合いは葬式にしか行く程度にしようと固く心に誓う事にした。
と言う事で、今回学んだ事はいろいろあって、「馬鹿は死んでも治らない」とか「三つ子の魂100までも」とか昔の人は上手く言ったものだなぁと思ったし、やっぱり人が良い人や優しい人は商売人や経営者にはまるで向かないのだという事だろうか。よく父方の兄弟を見ると勤めている人の方が成功しているし、家系的な適正と言うのはあるのかもしれない。