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2002年07月15日 月曜日

連絡手段の確立

Internetをつかって連絡する手段があまりに不便なのでWebサーバへ接続するためにTeraTerm+TTSSHとFFFTPを妹のパソコンにインストール。とりあえず日記を書く事ができる環境を構築したので、9日の日記を執筆。メールはクライアントのインストールが面倒なので、いったんHotmailというこれまた妖しげなWeb Mailを使う事にしてみた。とりあえず、夕張はかなり田舎だけどもADSLになっているのであるが、自宅よりも環境が贅沢なのがなんとも…

2002年07月14日 日曜日

親戚の皆さんを千歳空港までお見送り

おがわの方の親戚は全員飛行機で帰る事になっていたので、何かと移動手段が限られている夕張から、千歳空港まで車で見送る事になった。みなさん一様に気を落とされていましたが、死んでしまった人は帰ってこないので、残されたわれわれはこの喪失感を埋めるべく、毎日一生懸命生きていきましょうと、思ったわけである。

2002年07月13日 土曜日

告別式を行なう

告別式を執り行いました。告別式にも多くの方々に参加していただきました。本当にありがとうございました。

2002年07月12日 金曜日

さらなる闘い

大叔父が夕張市長に会うと言うので、昨日のやり取りから何を言い出すのかさっぱり予想がつかないので、僕も同席する事にした。今回の話をしに行くのに、自分の子供から紹介するものか、「あーあ」と思ったのだが、じっと我慢してみた。で、市長とは最近の体調と現在の市の状況をさらりと聞いて、僕らの境遇のたしにはならなかった。
市長の話を聞いていたのだが、やっぱり夕張の中しか見れない人の発想は貧困だ。何でもやりたがるワンマンな手法と言うのも問題があって困っているところ。現在進めている区画整理事業はマクロな視点で見た場合には僕も正しいと思うし、廃墟となってしまった昔の炭鉱の住居跡を残しておいても仕方がないと思う。そういうものを一つずつ整理していった地道な成果は僕も認めているわけだが、区画整理事業と言うのは単に住んでいるところのすげ替えだけでは片手落ちである。多少ミクロな視点での経済圏を見た上で、上手く行くような方法を考えられる人にまかせて進めるべきと僕なんかは思うのだが、なんでも自分で仕切りたいと言う市長の性格と、経済的な思考が全く抜け落ちている点が彼の限界かなと思うのである。
お金をかけている割に上手く行かないのにはそれなりの理由がある。それは今夕張市で行なっている第3セクターの事業に関しても同様である。何だかぼろが見えすぎて、預託金と地盤があったら僕に市長をやらせてくれと思わずにはいられないが、財政再建団体にいつなってもおかしくない自治体だから、次の代では合併を前提とした広域行政とかそっちの方を指向すべきじゃなかろうかと思うところであるが、どうなるんかなぁ。
帰ってきたあとに、昨日のやり取りがまずかったと思ったらしく、フォローをするような話を大叔父がしてきたが、その内容の不味さに激昂してしまった。昨日僕らが言った事や僕が丸く話を納めてやった事が、まるででわかっていないらしい。と言う事で、もう今後は無視する事にしてしまった。親戚付き合いが切れるのは、案外こう言うところからかもしれない。(まぁ他にもここの場合切れる原因はあるし。) 何を言っても解ろうとしない人に何を言っても無駄。そんなに僕は暇な人でないのだから無視したほうが賢明。それにしても一番近くに住んでいる親戚なのであるが、これからの親戚付き合いは葬式にしか行く程度にしようと固く心に誓う事にした。
と言う事で、今回学んだ事はいろいろあって、「馬鹿は死んでも治らない」とか「三つ子の魂100までも」とか昔の人は上手く言ったものだなぁと思ったし、やっぱり人が良い人や優しい人は商売人や経営者にはまるで向かないのだという事だろうか。よく父方の兄弟を見ると勤めている人の方が成功しているし、家系的な適正と言うのはあるのかもしれない。

2002年07月11日 木曜日

大叔父との闘い

今日、葬式に参列すべく仙台から大叔父(うちの店の創業者世代)が夕張に来た。で、彼が気になっていた現状の会社の状態(後述する理由で現在休業中)を勝手に調べたそうな。彼は現在のうちの会社の経営になんの権限もないので、彼が勝手にいろんな所に言って聞きまわる事自身は違法であると思う。(監査役が同席している場合でも、恐らく知りえないというのが正しいはず。家は株式会社なんで株主であれば株主総会でのみ話を聞けると思うのだが間違っているのかな。)
まぁそんなところであれば目もつぶれるが、事もあろうか父の眠っている前で非常に厳しい口調で父や僕らを叱咤するわけだ。場所と時期が最悪ではなかろうか。ただでさえ父がいなくなってしまった喪失感に打ちのめされている中、平然とまくしあげる事ができるとは、ドラマでなら見る事もあろうが、まさか自分に降りかかるとは思わなんだ。父が死んだ悲しみよりもこう言う事を平然とできる大叔父の態度に腹立しさを強く感じる。
曰く、「一度開いた店をたたむのは男のやる事ではない」とか、「経営者ならどうするべきかもっと早くに決めるべきだった」とか、すでに言っている事の論理が破綻しているのである。聞いていると腹が立ったが、論理の破綻を笑わずにいられない。そう責めてくるので、僕が論理的に冷徹に責めて行くと、「おまえは理屈っぽい」とおっしゃる。と言う事ですでにお話にならないのである。僕は高齢な方への敬意は常に持っているつもりであるが、残念ながら、今の話やこれからの話は、これからを担う僕らに責任があって、彼らにはないと考えている。だから引退した時点で、何にも出来ない・何にもしない所詮、「半人前」にすぎないと考える。なので、偉そうに知ったふりをして何でも言うなと言ってやった。
もっと言いたい事はあったが、僕も根が優しいのだか何だか解らないが、話を穏やかの方向に持って言って、話を丸く納めたのであるが、何と言ったらいいものか。あきれて開いた口がふさがらない。齢80も越して、このレベルか。人間こうはなりたくないものだと思った次第だ。
まぁ他にもいろいろとあって、例えば、現在の夕張の状況は本当にひどい物で、さらに区画整理事業の対応のまずさでこれまでの消費者がほとんどいなくなってしまった状態でみんな必死に頑張っている中、「ようやっていますねぇ」なんて、夕張の将来に何の責任もない一老人が言っていいものであろうか。まぁそう言う言行の節々にも、現状認識の甘さ、思いやりの欠如が見え隠れしていて、僕なんかはこの人は何者なんだろうかと思ったり。それにしても、これまでの長い付き合いでそう言う人であると見抜けなかった事が僕としては非常に恥ずかしく思うところであり、己の未熟を痛感するところなのである。「闘いの軌跡」にふさわしい内容であろうか。