PC

2001年11月28日 水曜日

書いてあるとおりにもできないのか…

昨日、用があってWindows版のGhostscriptとGhostviewをインストールすることとなった。Ghostscriptってやつは、主にプリンタに図形を書かせる言語であって、知る人ぞ知るAdobeのもっとも有名なプロダクトであるPost Scriptの互換インタープリタ(とビュアー)である。(PhotoshopなんてPost Scriptに比べればカスのようなプロダクトなのよ。その辺の至る所にあるんだよね。空気みたいなもんです。)
で、必要なのでインストールしたいという話があったので、ダウンロードサイトとNifty TeXフォーラムのGhostscriptのインストール方法を解説しているページを紹介してやった。TeXフォーラムのインストール解説はどの記事もわかりやすいと思うので、忙しかったせいもあり、「記事を参考にチャレンジしてみて」と言ってみた。(まぁまっとうな話でしょ。)
で、「うまくいかない!」という連絡がきたので、ちらっとみてみたんだが、ライブラリの場所・フォントの場所を指定する環境変数を設定していないせいだった。記事にはAUTOEXEC.BATにそのまま書き足すようにとわかりやすく書いてあるのだが、その作業をしていなかったためだ。ちゃんと動かないのは当たり前である。
まぁ理由が分かったので、すぐに動くようになったのであるが、インストールしてもらった彼の僕に対する対応がもうだめだめなのある。「AUTOEXEC.BATがどこにあるのか分からない。」「書いてあることが何のことだか分からないので、できない。」ときたものだ。さすがに僕はこの言葉に頭にきてしまった。前者に関しては分からなかったら、ファイルをファイル名で検索すればいいものである。そんなこともできないのか。さらに後者の意見はもっといただけない。誰にでも初めての時はある。だから、ここに書いてあることはよく分からないが、どういうものか教えてほしいと言うのであれば、話は分かる。でも、書いてあることを理解しようともしない、人に頼む。不注意でHDDをクラッシュさせたときも僕が再インストール? 僕がやらなかったら途方に暮れるだけかぁ。さすがにあきれてものもいえない。で、せっかくインストールしてあげてもお礼の一言も言えない。もうなんていえばいいか。(涙)
と言うことで、もう二度とやってあげない。やり方も教えない。やり方を書いてところも教えてあげない。自己解決できるはずなのに、その努力をしない人に力を貸す気にはなれないと言うことだ。
とはいえ、Windowsのユーザーであっても、すでにMS-DOSの知識もなく。コマンドラインで有用であった環境変数だのパスだのと言ったものの意味や設定の仕方なんて知りもしないし、知りたくもないんだろうな。GhostscriptのようなUnix起源なツールを使いこなすのは難しかろう。大学ではせめてWindowsやらMacみたいに「サルでも使えそうな」OSを「コンピューターリテラシー教育」なんかに使わせるんではなくて、叡智の詰まったUnixを使わせて勉強させるべきなのかもしれない。やっぱ道具に使われてはならない。道具は使いこなしてなんぼであろう。で、その割には大部分のWindowsユーザーって、自分でCOMオブジェクトを組み合わせて使うなんていう多少なりとも高尚な使い方もできないんだろうなぁ。そこが唯一のWindowsらしいWindowsの使い方ってものなんだろうになぁ…

2001年11月22日 木曜日

WindowsXP

WindowsXPおもむろに購入。メモリを128M足して256Mにしたかったんだが、すでに64Mが2枚実装されていて、結局128Mを2枚購入した。それでも8000円くらい。なんてメモリが安いんでしょ。XPをインストールしたいノートパソコンのメモリが不安だったが、汎用の144ピンSO DIMMで良いことが分かり、早速購入。ようやくMaxな状態になった。残った64MのDIMM2枚はどうすればいいのさ…
XP自体のインストールはすんなりと終わり、メール環境の移行も終了した。最近VAIO C1(Viola)が調子悪かったので、これを機に元のPC(lily)に戻したという感じ。C1のちっちゃな画面に比べて、14インチでもかなり画面が大きくなった印象の上、アイコンがでかい。GNOMEのNotilusを始めて使った感じに似ているかも。WindowsMeを初めて使った印象と同じで、操作性がWindows2000/98以前とまるで違う。とりあえず、コントロールパネルだけは元の表示でないと何がなんだか分からないので、元の表示に戻し、WindowのデザインはWindowsXPのデザインで使っている。後の印象は「音」がかっこよくというかいい音になったなぁ。評価はぼちぼちしていく予定。

2001年11月07日 水曜日

文化の違い?

なのでしょうか? 後藤さんのところで発見。酒井冬雪さんがMYCOMのPCWEBに連載されている「理系のための恋愛論」の今回の話「彼のメールを読むとカチンときてしまう」と言う話題。電子メールを手紙かメールの延長と言う前提で使うと言う話ならば、彼女の言っている話は理解できる。
確かに手紙を書くと言う視点であれば、引用を入れるとか、タイトルに「Re:」をつけるだけ、というような作法はしない。普通の世界ではないかもしれない。僕は電子メールについては「手紙」と言うよりも、対話と言った印象の方が強く、元メールの引用をしないと何の話題だったのか良く分からなくなってしまう人なのだ。まぁ文化の違いなのかもしれないが、こう言う考えもあるのねと言うことを覚えといても良いかもしれん。
まぁ限られた人だけでしかメールのやり取りをしていないんだったら、そういう話も分からないわけでもないのだが、流量の多いMLを何個か読んでいると、大概のメールは埋もれてしまうもので、振り分けて読んでもプライベートなメールは埋もれがちだ。(タイトルが変わってしまうと結構つらい) そういう相手がいる場合は、個人用のアドレスを作らないと駄目なのね。
でも思うに、僕が電子メールを使い始めたときは、UnixのサーバにtelnetしてMHを使ってメールを書いたものだし、電子メールで日本語のタイトルを使えない時代でもあったし、本文に日本語が使えなかったころの話を伝説で聞いたものだし、そうやって考えるとありふれた道具になったのかもしれない。

2001年10月21日 日曜日

Club CAPA撮影会 in 奥松島

今日は、Club CAPAの撮影会であった。今回の撮影会はテストケースという事でうまく仕掛けていけそうだったら、いろいろと展開していきたいとのこと。われわれでテストということだったが、今後の参考になるであろうか?しばらくCapaを観察していこう。うまくいったらよいなぁ。一泊二日でポートレート撮影とか、三泊四日で沖縄へポートレート撮影とかなかなか楽しい提案だ。リーズナブルにできるのであれば、参加したいものだ。(問題はどうやって休みをとるかだな。)
今回はモデルさんが七生奈央さんだけだったが、いい具合に撮らされてしまった感はある。いろいろと勉強になって実に楽しい撮影会だった。馬場先生の話を今回も聞けてなかなか有意義だった。とりあえずD30で撮った画像をアップしておく。この写真は夕方の方の本当に最後の方の写真。50mmでかなり寄って撮ってみた。多人数参加だとこういう絵が撮りにくいが、最後の方だとみんなフィルムもなくなって結構寄れました。やっぱりハイアングルから狙って見上げてもらう絵が僕は結構好きなんですね。
撮影会の写真
EOS D30 / EF 50mm F1.4 USM / 絞り優先AE (F1.8 +0.5EV) / Daylight / ISO100 / モデル: 七生奈央さん

2001年10月20日 土曜日

シェーンベルク没後50年

久しぶりに音楽ネタ。良く考えたら、今年はアルノルト・シェーンベルク没後50年のようだ。シェーンベルクといえば、「12音技法」の創始者で良くも悪くも20世紀の音楽に多大な影響を与えた音楽家であろう。僕はクラッシック音楽を聴くときにはそんな難しいことを考えて聴いたことはないので、いまいちどういうものか分からなかった。今日「音楽の友」という雑誌に掲載されていた池辺先生(N響アワーで有名ですね)の解説を立ち読みして、なるほどと思った。忘れないようにメモ。
普通気持ちよく聞こえる音楽って大概の場合は調性音楽とよばれる厳密なルールで書かれている。音の主従関係があって、このルールの下で厳密にしたがって音楽が作られている。ただ19世紀の後半あたりになると、リストやワーグナーやマーラーの音楽などは行き詰まりというか、調性音楽の破綻が見える。はたから聴いているとどことなく行き詰まった感じがしてそれはそれで良いのだが、明らかなブレークスルーが必要だったんですね。
一見調性のない音楽ってでたらめに音をつなげれば簡単に作れそうだけどもなかなか作曲は難しいらしく、音を乱雑に組み合わせたら駄目みたい。闇雲にやったら結構できそうな気がするが、「ドミソ」とかつづくとハ長調な曲になったりするわけで、システマティックな方法論が必要だったわけだ。
で肝は、**「ある音を使ったら他の11音を使い切るまで、その音を使わない。」**というルールだ。12音を平等に使おうという音楽の方法を開拓して実践したのが、シェーンベルクということになる。パソコンでランダムに音をつなげればいくらでもできそうだけども、音の集合から音楽にするには、リズムなどの音楽的なセンスが必要だから、まぁそれだけではなくて簡単ではないということだ。
僕はシェーンベルクの音楽初期の作品、つまり最後期のロマン派の音楽である「浄夜」(1899年作曲)と「グレの歌」(1910年完成)をこよなく愛聴しており、調性音楽を捨て去ったあとの音楽はあまり聴いていない。今度どのようなものか聴いてみようと思う。なお愛聴しているのは「浄夜」は弦楽合奏版がカラヤン/ベルリン・フィルの1973年の演奏とブーレーズ/ニューヨーク・フィルの1973年の演奏のものが気に入っている。カラヤン版は大編成で切れがないけどもロマンシズムたっぷりの甘い音楽で夢の世界へいざなってくれそうな感じ。ブーレーズ版は小編成できりっとした演奏でしょうか。ブーレーズは近現代の音楽を振らせたら右に出るものはいない感じですね。(最近はラトルもかなりお気に入りだけど。) 弦楽六重奏版はラサール弦楽四重奏団の1982年の演奏でしょうか(これしか持ってない)。一つ一つの旋律が驚くほど耳に入ってきてドラマティックに聴こえてよい。弦楽合奏版しか聞いたことがない人はこれを聴いておいて欲しい。
「グレの歌」の方は、ブーレーズ/BBC交響楽団の演奏のものしか持っていないが、これがベストな気がする。この曲はシェーンベルクの初期のころの音楽だけども、ワーグナーやマーラーの領域に並ぶか超えている大曲で美しい。デビューして数曲でロマン派の音楽の行き着く果てに行き着いちゃったんだから、もう「12音技法」に行くしかなかったのね。
シェーンベルクは20世紀の作曲家の中でも非常にとっつきが悪いというか、敬遠されている作家だと思う。とはいえ、「浄夜」や「グレの歌」はワーグナーやマーラーやR.シュトラウスを聴く人には難なく聴ける曲だと思うので、ぜひ聴いてもらいたいものだ。(僕も聴かねば…)