2002年04月14日 日曜日
気分一新
気分を変えるために鬱陶しく延びてしまった髪をなんとかするべく、ばっさりと切った。いやぁ気持ちがよい。別に落ち込んだからではないが… さすがに3ヶ月も切らないとだめだめであろう。
とりあえず
この時期を逃すのはやっぱり痛いので、花の写真を撮りに出かけようと思う。明日晴れれば良いなぁ。
気分を変えるために鬱陶しく延びてしまった髪をなんとかするべく、ばっさりと切った。いやぁ気持ちがよい。別に落ち込んだからではないが… さすがに3ヶ月も切らないとだめだめであろう。
この時期を逃すのはやっぱり痛いので、花の写真を撮りに出かけようと思う。明日晴れれば良いなぁ。
まだ、気が晴れず。うじうじしています。結局、昨日はほとんど一睡もできず、今日は朝食と昼食を食べる気力がでず、夕食は軽くパンを食べてお終いという感じ。冷静に見てかなり堪えているようだ。
だいぶん自分を取り戻したというか、忙しくして忘れるようにしているだけかも知れないが、家に帰って一人になると結構つらい。いろいろと考えがループしてしまう。思うに**「破るために約束をするのであろうか」とか「期待を裏切られるために期待をするのか」などと否定的な考えが頭をよぎる。僕はこれまで大概の場合、超楽天的な性格だと思っていたが、去年の頭以来、強い人間でなくなってしまった感はある。ただ冗談にせよ僕は「破るために約束をする」**と言ってきたものだが、しっぺ返しを受けたのだろう。ただこういう考えは悲しすぎる。
公私とももうぼろぼろ… もう本当に会社やめようか… でも何をする? 何で生きていく?
最近個人的にポートレートの撮影をお願いしていた女の子から丁重なお断りのメイルをいただいた。2ヶ月ほど前にお願いして快諾していただいたが、いろいろと連絡が取れず、年度末ごたごたしたせいもあって、一息つきそうな4月には何とか出かけようと、いろいろと計画も立てていた。場所も選定し、いろいろとイメージを持って撮影に望むつもりだった。でも、今回の話はすべてご破算になってしまった。僕自身が非常に楽しみにしていたのもあって、その落胆は激しい。もう仕事も手に付かないし、夜も眠れないし、食事ものどを通らない。しばらく精神的に立ち直れそうにもない。
この日記を読んでいる人で、僕が軽い人間と思われている方は多いと思うが、女性に個人的に撮影をお願いするっていうのは、僕の場合本当にできない。本当に尋常ならざる判断・思いを込めてお願いをしている。それくらい直接頼めない。依頼すると言うこと自身、数ヶ月の間悩んでいます。実際に依頼のメイルを書くのも1日以上かかって書いています。出す時には手が震えるような思いで出しています。本当にそれくらい考えないと頼めません。僕にとってそれは大事件なのです。と言うことで、今回の件は、いろいろ落ち込むことが多い状況だけに、精神的に立て直すことができません。もう本当に撮影活動自身をやめちゃって写真から足を洗おうと思ったりします。もう写真で精神的に自分自身を支えきれないのです。
でも、そのくらい悩んだらだめですか? 僕は女の子の写真って、「その娘が好きじゃないと良い写真は撮れない」と思っています。僕は彼女の写真を「彼女が好きだから撮りたい」のであって、「写真が好きだから撮りたい」んじゃないんです。そうでないと良い写真が撮れないと思うし、彼女に悪いと思うし、そんなに器用な人間ではないのです。だから自分からお願いして写真を撮りたいと言う場合は、好きな女性に告白するのと同程度の重みがあってお願いをしているのです。
実際のところ、自分の恋愛という視点で振り返ってみれば、高校を卒業してから好きになった女性って少ないが、立て続けに振られ続けている訳で、僕自身を周りから見てどうなんだろうと考えたりする。人間としての魅力や男性としての魅力もないのかと思うと、生きていて良いのかと悲観的に思ったりもします。もう自分から好きになるのをやめようと思ったりする。ここ数年ずっと胸の内にそういう思いはあったが、去年の正月の頃の話と今回の話で現実的にそう思うようになってしまった。たぶん僕自身が生きていることについて、周りの人にとって小さな意味もないのかも知れない。泣きたい心境だけども涙も出ない。僕は何を糧に生きていけばよいのだろう。何をよりどころにして生きていけば良いんだろう。いままでいろいろ見せかけのものを創出してごまかしていたのかも知れないが、本当に分からなくなってしまった。どうすればいい、どうしたらいい。本当に分からない。
WorkPadが無事使えるようになったので、早速会社に持っていった。で、会社のPCにクレードルを接続しようと思ったが、なんと会社のPCにはシリアルポートがないことに気がついた。WorkPad c3付属のクレードルはシリアルコネクタなので、そのまま使えないのだ。何らかの方法を考えねばなるまい。
Keyring for PalmOSはかなり便利なソフトだと思う。早速役に立ってますね。自分で何かソフトを作るのであれば、写真の撮影データをメモするツールなんかを使いたいと思いますねぇ。
今日は昨日の洗車に続き、車内の清掃を行った。2年くらい自分で掃除してなかったので、結構汚れていた。今年は黄砂がいっぱい飛んできたので、あらゆる隙間に黄砂が潜り込んでいたようだ。そのほとんどは取り除いたつもりだが、まだ結構残っている。今日の掃除でかなり綺麗になった。ちと満足である。
で、掃除すると良いことがあるものだ。今日掃除していると、なんと! なくしたと思っていたWorkPad C3を発見したのだ! いやぁ掃除をすると良いことあるねぇ。とはいえ、ドライバーのシートの下に転がっているとは思わなんだ。2年くらい自分で掃除してないので、無くしたのがいつだか思いだせんが、少なくとも1年以上はそこにあった訳で、真夏の厳しい状態もくぐり抜けてきた訳だ。果たして動くんかのう。
大掃除を始めると勢いが止まらなくなって、今回はいろいろ書類を捨てることとした。ずいぶん前からいろいろ置き場所に困っていたので、そろそろやろうと思って半年くらい経ってしまっていたのだ。書類は2年以上参照しない物を中心に捨てた。捨てたのは新入社員研修の時の資料だの、昔のソフトのマニュアルだの、雑誌などが中心だ。
捨てるときにいつもびっくりするのだが、ソフトのパッケージ類の箱の多さである。これは2年おきくらいに捨てているのだが、やっぱうんざりするほど多い。捨てるときにいつも思うのであるが、こんなに大きな箱が必要なんだろうか。CDのパッケージだけで良いんだけどもどうにかならんもんなのか。マニュアル類もかなりの分量なので、できれば電子的な文書にしてくれると捨てるときに楽なんだけどなぁ。パッケージのあり方はいつも考えるところではある。今回捨てた箱は以下の写真のごとし。大きさの比較のためCDのパッケージとたまたま卓上にあったサンニッパのトランクケースを置いてみた。かなりの分量だねぇ。(しかも後ピンもいいとこだし。)
今日の「知ってるつもり」から。「知ってるつもり」はその名の通り知ってるつもりのコメンテータが無責任な意見を吐く、批判的に見ればかなりおもしろい番組であるが、呆れた意見を吐く加山雄三が嫌いなのと、見るのが疲れる番組なのであまり見ていない。今日久しぶりに見たら、最終回スペシャルとか言う話で、「文明の滅亡」を題材に現代文明のあり方に警鐘を鳴らす内容となっている。最終回的まとめにはいるのであれば、警鐘を鳴らしてと疑問を問うというのはあるかもしれないが…
今回の見方としてはおもしろいとは思うが、かなり一元的ではあるし、言いたい結論を決めてからの議論なのでそういう意味ではおもしろくないとも言える。で、エジプト文明の「女性中心的価値観」からローマ帝政時代に取って代わって、「男性中心的価値観」への価値観の変容があって、その後今まで「男性的価値観」の自然などからの搾取構造が変わっいないと言う。現在のアメリカなどの言うところの「民主主義+資本主義」の行き着く果てに、搾取され尽くした自然がいずれ現代文明の滅亡を招くのではないかいう感じに読みとれる。
僕なんかが思うのは、別に文明が滅亡するのが必然であるならば、受け入れざる得ない。価値観を喪失して新たな価値観が台頭して旧来の価値観が変容して文明が滅亡するならば、それは文明の滅亡ではなく新たな価値観を持った文明の登場と考えたい。こういう価値観の転換というのはいきなり起こる物であって、案外相転移みたいな物と同じような説明ができるものなのかも知れない。ただ文明の交代があるとして問題なのは、その間には混乱と争いあり、停滞と貧困を生む。そっちの方が問題だとおもう。
そういえば、こういう話はアイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」なんかの考察が古いけれどもあって、こういうことを考えるのはなかなかおもしろい。僕はこの本を読んだあとに、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んでみたが、一つの文明・文化の興亡を見るのは、歴史の勉強では必要であると思う。生き方や考え方をいろいろと歴史から教訓を得るにはこういう風な本は良いだと思う。ただちと難しい本なので、僕は塩野七生さんの「ローマ人の物語」をお勧めする。日本人は歴史の教育で一つの国家・文明の勃興から滅亡までを一貫して教育されない。これは困ったことである。「平家物語」みたいな優れた文学があるのにもかかわらずである。こういう物の見方はあった方がよいと思うので、ぜひいろいろと本を読んでいきたい。そういえば、ハリ・セルダンの「心理歴史学(サイコ・ヒストリー)」はここの人間を相互作用する物としてとらえて、全体の系(銀河帝国)の振る舞い(歴史)を計算するという、統計力学的な学問だったなぁ。
になりましたねぇ。今年の撮影シーズンが近づいてくる足音が聞こえてきます。そろそろ予定を精密化しないと。花の写真のネタはあるけど。ポートレートもがんばって撮っていきたいなぁ。
明日に続くになってしまった。とりあえず昨日の後遺症で眠すぎ。「春眠暁を覚えず」と言うことで、永遠に眠ってしまうかも…
と言えば、中学生というか小学生高学年の英語教材に付いていそうなタイトルであるが、今の日本の教育だと最初の一歩はつまずかなくても、何歩も歩かないうちにつまずくんだよねぇ。これって日本人のものを学ぶ姿勢に由来するものか。(語学って知識でなくて、スキルだよねぇ。やっぱし。)
竹松さんのイベントでサインしてもらったジャケット(の裏側)。ちゃんと名前を入れてもらったわけです。一応これで目標達成ですね。握手会だったんですが、握手はしてきませんでした。もったいないという話はあるのかも知れませんが、握手って多人数相手だと結構疲れるもんだし、指先をそれなりに酷使しているだろうからと思って気遣ってみました。
昨日の日記で速報と言うことにしたが、ハープ奏者の竹松さんの新しいアルバム『Concierto Serenata』が1月19日に発売された。その発売のプロモーションの一環と思われるが、サイン会・握手会と言うことで仙台にも竹松さんがやってきた。会場は新星堂さんのクラッシックフロアの一角である。前回のイベントと同じく会場の都合で演奏ができないのが残念ではあったが、竹松さんの目の前で話が聞けるとあっては、いかねばなるまい。と言うことで、前回の反省点であった「写真を撮る!」こと(前回イベント時は写真が趣味ではなかったが)と、サインの際に「けんたろうさんへ」と自分の名前を入れてもらうことを重点目標に設定し、行って来ることとなった。
アルバムはまだ購入していなかったので、新星堂さんにて購入した。当然サイン用のためでもある。アルバムは帰ってから鑑賞したが、今回のアルバムはタイトルからも推察が付くようにハープ協奏曲がメインで新日本フィルと横浜みなとみらいホールを借り切って収録されたなかなか贅沢な作りである。ピエルネの「ハープ小協奏曲」は作家自身もしらず、どんな物かと聴いてみたがなかなか良い。ハープの協奏曲風な曲で彼女が演奏している曲の中では「妖精伝説」が一番のお気に入りであるが、今回のアルバムに収録されていた曲はどちらも僕の中では、「妖精伝説」以来の曲かなぁと言う感じ。結局小品集よりはコンチェルトが好きというのはピアノもバイオリンもハープと一緒と言うことか。
実際に竹松さんを目の当たりにしてどう思ったかという話であるが、前回の「妖精伝説」の時やデビューの時は、年齢のせいかあどけなさというか、本当に妖精のような感じのお嬢さんだった気がする。今回はちょっと印象が変わって、良い意味で一人の実体を持った女性になりつつある気がする。なんか言い回しが変だな。ちと言い方を変えると、現実味を持った大人の女性になったかなと言う感じですかね。言葉に表現するのが難しいが。以下の写真は当日の写真。
EOS D30 / EF 50mm F1.4 (絞り優先AE F2 シャッター速度 1/45 +1.0EV) / WB: Daylight / ISO 400 / 新星堂仙台店
EOS D30 / EF 85mm F1.2L (絞り優先AE F1.2 シャッター速度 1/90 +1.0EV) / WB: Daylight / ISO 400 / 新星堂仙台店
EOS D30 / EF 50mm F1.4 (絞り優先AE F2 シャッター速度 1/90 +1.0EV) / WB: Daylight / ISO 400 / 新星堂仙台店
今回の目的だった写真とサイン。我ながらうまくいったと思う。
EOS D30 / EF 50mm F1.4 (絞り優先AE F1.4 シャッター速度 1/125 +1.0EV) / WB: Daylight / ISO 400 / 新星堂仙台店
サイン会での一コマ。丁寧にサインしています。
EOS D30 / EF 50mm F1.4 (絞り優先AE F2 シャッター速度 1/60 +1.0EV) / WB: Daylight / ISO 400 / 新星堂仙台店
今回のサイン会はこれでおしまいなのです。偶然にもペンを片づけるシーンが撮れました。それにしてもミックス光源は色が難しいです。(と言うか補正不能ですな。)