2004年01月12日 月曜日

久しぶりにLaTeXをインストール

広瀬さんの日記にTeXの話題が載っていたので、久しぶりにLaTeXをインストールしてみることにした。まぁLaTeXじゃないと書けそうにない文書はそれなりにたまっていると言うのもあるので、ちょうど良いかというきっかけだった。
ということで、家でもPDFを生成できるようになったのだが、久しぶり(おそらく7年ぶり)にLaTeXを触って思ったのは、_こんな物をよく使いこなしていたな_と思わざるを得ない奇怪なTeXマクロ(まだPerlの方がマシかも)とバッドノウハウとしか思えないソースの断片であった。自分の修士論文のソースを読んでも、よく書いたなというマクロのオンパレードでびっくりなのである。
しかも当時はちゃんとMakefileを書いてmakeしていたようだ。(platex main.texを3回実行するより、makeで一発というあたりを買っていたらしい。) なんだか昔の苦闘のかけらを掘り起こしたような気がする。とりあえず昔のIsing模型の勉強ノートとかこれから手を入れたい光学の勉強ノートとかを書いてみようかなと思う。やっぱり数式はTeXよねと言うあたりをPDFで表現できるかな。

2004年01月11日 日曜日

GNUの20年

ずいぶん前の話になるが、昨年はrmsがGNU Projectへの呼びかけ(翻訳,後の「GNU宣言」の元になる文書だと思う)から20年目の年だったそうな。昨年の9月末の話なので何をいまさらという話であるが、1月5日のNewsforgeにrms自身による「The Free Software Community After 20 Years: With great but incomplete success, what now?」という記事(和訳)が掲載されていたので、読んでみて思い出したかのように日記の記事にすることにした。
ソフトウェアにそれなりに踏み込んでつきあうようになると誰でもそうであると思うが、GNUの成果物の恩恵に預かっていることに気づかされることが多い。僕の場合は今年で11年目になると思う。最初の出会いはテキスト処理をするために使い始めたawkであるが、MS-DOSで使っていたので当然GNU版のawkであるgawk(の日本語版jgawk)だったように思う。当時書くのもめんどくさいテキストファイルのフィルタ処理がこんな簡単な言語でできるもんだと感動して使った記憶がある。(その後、awkの使いこなしでは師匠に絶対勝てねえと思ってperlを使うようになりawkを忘れ、今はテキストの処理の需要があまりないのでなんにもやってないが。)
その後、数値計算でCでプログラムを書く機会が多かった(Fortran嫌いなんで)ので、MS-DOSでMS QuickCを使っていた。Cを始めた頃はこの処理系でよかったが、当時積分計算をすることが結構多くて処理速度を稼ぐために最適化をかけたいことがよくあった。ただMS-Cのような処理系は_学生時代には絶対買えないお値段の処理系_(今も買えませんが)で、とても手を出せる状態にはなかった。またMS-DOSの制約以上の大きなメモリ空間を計算上必要としていたこと(こっちの方がより重大だった)ため、どうしてもMSのツールじゃ駄目だった。そんなときに大学のFTPサーバを覗いていて発見したのが、GNUのCコンパイラGCCのMS-DOS版であるdjgppでした。DOS-Extenderという妙な環境で動く何ともしれないコンパイラだったが、結構長い間愛用していた。
その後のLinuxの登場によりMS-DOSという妙な環境ではなく、何の制約もないUnix互換環境でGCCを使えるようになったので、ソースファイルごとLinuxの環境に移行してしまい、それ以来何かツールを作る環境はLinuxの上でやってきているし、こんな素晴らしいものはないと言うことでLinuxや*BSDの普及活動に時間があったら手間を惜しまず関わっている。まぁ最近はC/C++でプログラムを書くこともなくなったので、すっかり一利用者になってしまったけども。(お仕事上のVBAは除く。あれは選べない環境なので。)
最近の風潮ではGNUのGPLによる配付の縛りがきつすぎて、_GPL嫌い_な人を結構見かけるが、近年のオープンソースムーブメントのよりどころは_Linusによるバザール的開発手法の発明_とESRによる精緻な再定義によるものだとかんがえられる。しかし実際にはそれ以前の_rmsのFree Softwareの運動が基礎として存在_しており、GNU嫌いな人も_アンチテーゼとしての存在としてのGNU_なしには語れない訳だから、すべてに対して影響を及ぼしていると考えて良いと思う。改めて凄いことだと言わざる得ない。
さて、最初のrms自身の記事にもどるが、ちょっと過激なところはあると思うが大いに刺激を感じる記事かと思う。たしかに僕自身も特許やら企業秘密の中に生活している人なので、特許や企業秘密に依存するソフトウェアがどうしてもclosedでものでproprietaryな物にならざる得ないのは理解できるので、「Non-free software carries with it an antisocial system that prohibits cooperation and community.」は、ちょっと言いすぎだろうと思うが、先鋭的な意見を述べて戦い続けなければならない立場を考えると、確かにそう言い切ってしまわねばならないのだと思う。
さらに読んでいくと、

Today we have a large community of users who run GNU, Linux and other free software.Thousands of people would like to extend this, and have adopted the goal of convincing morecomputer users to “use free software”. But what does it mean to “use free software”?Does that mean escaping from proprietary software, or merely installing free programs alongside it?Are we aiming to lead people to freedom, or just introduce them to our work?In other words, are we working for freedom, or have we replaced that goal with the shallow goal of popularity?
とあり、普及の次を見通せていない僕の心の内を見透かされてしまっている_かのようだ。やっぱり普及という目先の話だけではなく、次というか未来を考えている。(やっぱり哲学から入ってくるあたりが絶対勝てないと思うところである。)単純に使ってもらうべく活動すると言うのは実はほんの些細な問題で、やっぱり_自由にソフトウェアを使うことができる権利(ひょっとしたらハードウェアも入るかもしれない)を維持し続けるには莫大な手間をかけて戦い続けなければならないということだ。今ある自由は、永遠にある物ではなく、その獲得に過去の膨大な努力の成果があり、またこれからの不断の努力によって支えていかなければならないという認識がどうしても必要だと言うことなのだが、どうも日本人として生を受けた僕にとってはその辺の意識が希薄なのかもしれない。認識を改めるきっかけにはなる文章だと思う。
さらに、
There are two common motivations to develop a free program.One is that there is no program to do the job. Unfortunately, accepting the use of a non-free programeliminates that motivation. The other is the will to be free, which motivates people to writefree replacements for non-free programs. In cases like these, that motive is the only one that cando the job. Simply by using a new and unfinished free replacement, before it technically compareswith the non-free model, you can help encourage the free developers to persevere until it becomes superior.
と続いている。(強調は私。) rmsは自由なプログラムを書く動機の内の一つが_「自由への意志である」_と言う、この20年のrmsの戦いを集約している言葉といえると思うし、rmsはこちらの方にほとんどすべてを投じているのだろう。ただそう思ってからこそGNUの素晴らしい成果物があると言うことで、rmsやGNU Projectに携わっている方々にはいくら感謝をしてもしたりないのである。
僕のようにツールなどを開発する能力もなく、一利用者にすぎない人は何をなせば良いのだろうかと常々思っていて、僕はずいぶん前はドキュメントの翻訳などをしていたことがあった。ただそれも本業が忙しくてできなくなって久しいので、最近ではこうしてできてきた成果物をうまく活用して、より高度な仕事に生かす方法がないかと言う方向で考えることが多い。活動している世界が違うわけだから、僕らのなすべきことはこうしてできた成果物をきっちり使い込んで、さらに別な有意義な成果を生み出せば、元の開発者に十分還元できるのではないかと思うのだ。ちがうだろうか?

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2004年01月10日 土曜日

FFXI三昧(4日目)

今日は_無為な4連休の4日目(最終日)_(悲)なので、気を取り直して_やっぱりFFXIで遊ぶ_ことにする。他にやることがある気もするが気にしても仕方ない… なんだか同じ書き出しだが、手抜きをしているわけではない。
今日は夕方から昨日の続きでラテーヌ北側の池でソロでレベル上げ、周りでは水エレがいるのにケアルをかけて、瞬殺になるPTが続出でみんな痛い目にあっておるのうと冷ややかに横目で見つつ地味にレベル上げ。なんとか夕食前にLv14になった。
食事を食べてから、さらに同じ場所でレベル上げ。相変わらず水エレで全滅状態になるPTが続出し、横見に見つつ蟹を狩る。なんだか時間が進むと人気スポットのせいか人が増えたので、ラテーヌ高原の奥のキノコさんでも相手にしようかと思ったけど、今のレベルでは微妙に苦しい。(なんだか毎回麻痺をもらってしまう。)
明日は会社だしそろそろ撤収かなぁと思った時に「砂丘で蟹狩りをしませんか?」というお誘いがあったので、12時くらいだったけど乗ってみる。だいたい時給1500〜2000くらいでしたかね。さくっとLv15になりました。全員が一通りLvアップしたところでおしまい。みんな撤収する方向が一緒だったので、サンドまでみんなで移動し解散となった。なかなか良い感じに戦えて良かったなぁと思いました。こういう場合のPTは何となく楽しい。明日以降はセルビナに拠点を移して、蟹さん、トンボさんというあたりをこなして、ジュノ再デビューといきたいところです。

2004年01月09日 金曜日

FFXI三昧(3日目)

今日は_無為な4連休の3日目_(悲)なので、やっぱりFFXIで遊ぶ_ことにする。他にやることがある気もするが気にしても仕方ない… 今日は金曜ロードショーで放送していた「アルマゲドン」を見てしまったからちょっと動きが鈍いかも。
今日はラテーヌ高原北西側の丘でソロで狩りを行いなんとかLv13になった。ここではこれ以上稼げそうにないため、Lv13になってから狩り場を変更。ラテーヌ北側の池(沼)に移動して蟹さんと戯れる。ただこの時点で結構眠たくなったので、適当に切り上げ。だんだんペースがあがってきた気がするので、明日は早めにバルクルムに移動し、PTでレベル上げだなぁ…
ぼちぼちナイトらしいお仕事であるターゲット固定をちゃんと身につけないとならないようです。今のレベルでは自分自身で回復がいまいちなのと、微妙に防御力が足りないので「挑発」をうまく使ってターゲットを前衛で回していますが。
そういえば、外人さんだと思うのだが、最近よく、
「You should be a ranger.」_なんて言われちゃいます。まぁFFXIのキャラクタの名前は指輪物語からドゥネダインの最後の族長の偉大な名前をいただいていますから、外人受けがなんだか凄く良い。(悲) やっぱりレンジャーとして生きねばならないのですかねぇ。FFXIのジョブで合うのはレンジャー(狩人)ではなく、ナイトか戦士か暗黒戦士だと思うのだが。(治癒もできる戦士という意味ではナイトか) 勇猛なドゥネダインをイメージしてナ/戦な訳だけども。有名人の名前をいただいたのは失敗だったかなぁ。映画見た?とか英語で言われるし。(見てないちゅーの。来月だよと言っているのだが… 最近しつこくてうんざりなのです。)

フォトニック・フラクタル?

今日ニュースステーションを見ていたら、信州大学大阪大学物質・材料研究機構の共同研究グループが1カ所にとどめておくことが非常に難しい光を、フラクタル構造を持った「穴あきの立方体」の中に閉じ込める、フォトニック・クリスタルなるものを開発したそうだ。(/.-jでの記事,毎日新聞の記事)
論文はPhys. Rev. Lett.に掲載される予定らしいので、掲載後にいろんな話が聞けそうなのであるが、ニュースを聞いた段階での疑問は、_電磁波が吸収されてる訳ではなくて、閉じこめるというのは本当なんだろうか?ニュースステーションで見た感じでも、エポキシ樹脂を立方体状の立体(カントール集合の3次元版(カントール集合Cの直積CCC)みたいなもののフラクタルと呼ぶには遠く及ばない近似立体にしか見えないのですが…
ということで、自分の元の研究分野を含むわずかな世界以外で、フラクタルなんて言う言葉を聞く時代がくるとは思わなかった。ましてやニュースステーションで聞くとは思わなかったので、かなりびっくりである。フラクタル図形というのは_どんなに拡大しても複雑な図形_のことで、ごく普通の数学で習ってきたような_凄く拡大すると何でも直線(平面、超平面)になる図形
(こう言うのを普通数学風に言えば至る所で微分可能と言うんだねぇ)と異なった奇妙な性質を持っている。(拡大していくと元の形と全く同じ形が出現する性質など)ただしフラクタル自身は自然界にはありふれていて、海岸線の形や樹木の枝の形などは代表的なフラクタル図形と考えられている。フラクタルは数学を勉強していてかなり面白いと思った数少ない分野なのであるが、なかなか一般受けする分野ではないと思っていただけに、今回のニュースはなかなか意外であった。
ただこういう一般の人から見たら非常に怪しいニュースの場合、slashdot-jpでのコメントじゃないが、これをネタに「フラクタル・パワー」とか3次元シェルピンスキーのギャスケットでピラミッド型みたいな物を作って「フラクタル・ピラミッドパワー」とか言った_凄くいかがわしい商売_を考えちゃう人がいるんだろうねぇ。(笑)さらにラピス・ラズリの粉末を混ぜ込めば、さらに石のパワーがうんたらという話にもできておもしろそうです。(爆)
ちゃかしすぎちゃいましたが、閉じこめた電磁波をちゃんと取り出せればおもしろい応用はいくらでもあると思うので、もそっとがんばってくださいということですか。(どっちかというと、閉じこめより、反射も透過もしない事の方が応用が早いと思う。)

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2004年01月08日 木曜日

FFXI三昧(2日目)

今日は_無為な4連休の2日目_(悲)なので、FFXIで遊ぶことにする。他にやることが歩きはするが気にしない…
今日は昨日から趣向を変えて、「ジラートの幻影」で追加されたエリアであるカザム地方に行くための飛空挺パスをもらってみることにした。僕はてっきり3国-ジュノ間の飛空挺パスが必要とばかり思っていたので見向きもしていなかったが、なんだかいらないみたい。必要なアイテムは「山砦の箱のカギ」(ゲルスパ砦)と「獣人都市の箱のカギ」(ギデアス)と「鉱山の箱のカギ」(パルブロ鉱山)で、おのおのの場所でLv20台の敵が適当な確率で落とすアイテムだ。今のメインジョブだと多少絡まれても余裕で粉砕可能なので、チャレンジしてみた。(山砦のカギはすでに持っていたので、2カ所を巡ったことになる。)
今日のスタート地点はサンドリアなので、まずバストゥークへチョコボで移動。陸続きとはいえ結構な距離である。買ってなかった地図をバストゥークで購入し鉱山へ。ちょっと戦ったらさくっと鉱山の箱のカギをもらえたので、そのままセルビナまで歩いて移動、海路でマウラへ移動し、ウィンダスまで移動。ウィンダスでまたまた買ってなかった地図を購入しギデアスへ。獣人都市のカギは全然落としてくれないと言うのと、Lv50台のプレイヤーが何を狙っていたのか狩りをしていたので、何とも枯れ果てていて… 2時間ほど戦い、何とか獣人の箱のカギを手に入れた。
ここまでで完了なので、ジュノに行けばOKと思っていたのだが、サンドリアのモグハウスの家具に山砦の箱のカギを収納していたのを忘れていて、結局ジュノ経由でサンドリアまで帰国。(泣)
と言う騒ぎで約6時間の移動につぐ移動でぐったりでした。何とかカザムへ上陸を果たしました。(結局エルシモ地方の地図を買いのがしているから、行ったはいいけどそのまま撤収だったが。) 移動にあまりに時間がかかりすぎる上凄く疲れるので、早いうちに飛空挺パスが必要だな。