サーバ環境アップデート

先週は秋の大型連休だったのですが、なかなか時間が取れていなかったので、1年半ぶりにサーバ環境をアップデートしました。(とはいうものの、FreeBSD自身のベースのユーザーランドは手をつけていないけど。こっちはあまり気合いがいらないので追々に。)

まず長らく使用してきたperl-5.8系(5.8.8)から5.10系にアップデート。さすがにもうPerl5系はここいらでしばらくでかいバージョンアップはなかろうという判断。一応MTOSを動かせるようにライブラリをインストール。残った問題点はImage::MagickとCrypt::DSAのインストールがうまくいっていないこと。どちらもどこが問題なのか突き詰めている間に連休が終わってしまったので放置。Image::Magickは写真なのでサムネイルやCAPTCHAの画像生成を行うために使っていたが、サムネイル作成はGDにお任せにすることにして、CAPTCHAに関してはreCAPTCHAで代用することとした。ただしれCAPTCHAの字が読みにくい。私人間なんですが。
最近あまり使っていないがrubyは1.8系と1.9系の一応最新版に追従しておいた、入れただけで放置。Pythonは最近始めてみたので2.6.2を導入。
今回のアップデートで一番大きかったのはEmacs22からEmacs23への変更か。僕はもう10年くらい前からEmacs+SEMI(APEL/FLIM/SEMI)+Wanderlustという環境でメールの読み書きをしているので、エディタのEmacsのバージョンアップはメール読み書き環境の大幅な変化を引き起こす。今回のアップデートでUTF-8周りの文字化けメールがほぼ解決しそうである。まあEvolutionのような訳の分からない思想(iso-2022-jp なヘッダーの符号化で q-enc 使って、本文はUTF-8とか)で送ってくるのはヘッダも本文も読めなくなって大きな問題。まあ読めないメールは読み飛ばせばいいのであるが、読めない方が悪いとかいう強者の論理を持ってくるけしからん人がいるので、Emacs23には期待していたのだ。効果は予想以上に大きい。おおむね読めるようになった物の、やはりCJKな人たちがこれまでの歴史を踏まえて作ってきたMUAを使いましょうよと声を大にして言いたい。あと何も考えなくてもUTF-8が使えるようになったのは大きいな。
あとはApacheの最新版への追従とかそんなところ。あとsshdの設定も変更してみた。以前よりは厳しめの設定となっているはずである。(だいぶんGroupとかアクセス先の制限とかかけてみたし。)
あとMovableTypeの設定を変更してみた。これまではユーザー登録をできなくしていたのだが、たぶんめんどくさい向きもあると思うので、ユーザー登録をできるようにしてみた。新規ユーザーはコメントのみ投稿可能。あとCrypt::SSLeayをインストールしたので、いろいろなOpenIDをつかった認証も行けるはずであるが、これらはテストが足りないので、使ってみてください。いちおうmixi OpenIDとかは使えそうではあるけど。

新港パーク

ようやく散歩がてら写真を撮りに出かけてもぐったりするような季節ではなくなったので、この週末はちょっとカメラと三脚担いで散歩に出かけた。今回は新港パークから。なかなか潮風がきつい・・・
minatomirai_20090905_nopano.jpg
EOS 5D MarkII / TS-E 24mmm F3.5L / マニュアル露出 F8 シャッター速度 1/5 sec) / ISO400 / WB: 太陽光

こっちの方まで歩いてきたのは初めてであるが、まあ日が暮れる時間帯の散歩はなかなか風も気持ちよく、散歩するのも悪くはないと思うのである。(いや手ぶらだったらいいと思うが・・・ カメラ+レンズ3本+三脚だと結構な苦行だろう。)
今回はすべて新しい機材を持ち出してみたので、まあ試し打ちと言うことになろうか。5D2になってから、ライブビューが使えるようになったので、なかなか悩ましかった広角レンズでのピント合わせの苦労から解放された。こういう風景の場合、24mmくらいだとMFレンズだと無限遠にあわせて撮影すればいいかと言う結構お気楽撮影をしていたのだが、MFレンズなのにAFレンズのように無限遠が簡単にでなくなってしまったので、悩ましかったのだが、これもそれもすべて解決である。三脚は欠かせないので、もっと軽い三脚を購入したいところ。(乗せることを想定する機材も一気に軽くなったので軽くできるはず。)
このあたらしい24mmだが・・・おおよそ欠点らしい物を発見できない素晴らしいレンズと言うべきか。強いて言えば円形絞りになった影響でF8位だと絞り足りないみたいで、光芒が美しくない。このへんはF11かF16まで絞ってみて考えてみることにする。(絞りすぎて回折ボケが気になるという人はいるだろうが、どうせこういうBlogに載っけるような写真の場合、縮小してしか使わないので、気にしないことにしている。)
minatomirai_20090905_pano.jpg
EOS 5D MarkII / TS-E 24mmm F3.5L / マニュアル露出 F8 シャッター速度 1/10 sec) / ISO100 / WB: 太陽光 / パノラマ合成
縦位置で6枚水平方向に撮影。Photoshop CS4のPhotomergeにてパノラマ合成してみた。この位置からだと縦位置でシフトをめいっぱいしても画角が足りないようだ。ということで普通に広角レンズとして使用。17mmの垂直方向と24mmの水平方向の画角はほぼ同じくらい(正確には前者が70.5度、後者が74度)なので、こういう絵も17mmだと横位置でシフトをちょっとするだけで撮影可能なのかと考えると17mmのシフトレンズの絵は恐ろしい。(さすがに水平方向はこれでおおむね180度くらいあるから、1枚では撮影できないとは思うが。)
TSE24_35_2_F8_shift.jpg
EOS 5D MarkII / TS-E 24mmm F3.5L / マニュアル露出 F8 シャッター速度 2.5 sec) / ISO400 / WB: 太陽光
新港パークから汽車道を通って桜木町まで散歩。屋形船多すぎ。それにしても休日にくるとやはり光が足りなくて何となく寂しい。(と言っても、休日以外になかなかこれないのだが。)

オートフォーカスのずれを見てみる

最後に手持ちのレンズのAF調整を行ったのは、まだEOS-1D MarkIIとEOS 5Dを併用していた頃で、当時の手持ちレンズの半数は入れ替わってしまったこと、1Ds MarkIIでは比較的新しいレンズで、わりとピントを外した写真を量産していた気がする。ただ保証の切れたボディとレンズのAF調整料金があわせると気が遠くなる金額を請求されるので、ちょっと絞り気味に撮影することが多かった。
EOS 5D MarkIIに切り替わったことで、AFアジャストができるようになったので、手持ちの標準レンズより望遠側のAFのずれを検証してみることとした。

「数学は上から目線で」といわれても・・・

どうもIT系の人の議論を聞いていると議論の底の浅さを感じてしまう。まあえらい振りをして全然勉強してませんというところが見えてほほえましい。(かく言う僕も勉強しているわけではないが。) 以下、一物理系エンジニアの数学観が入り交じった話。

本題に入る前に「計算の速い子供が数学者に向いているのではないという話」について、僕自身は物理屋さんを志していた学生なので、数学はツール。身の回りを見ても計算の速い人は数学屋よりも物理屋の方が向いている。数学を志す場合の入口に確かに算数や高校までの数学があり、腕力でなんとかなる計算能力に多少の依存はあるとは思う。どちらかというと解があると分かっているパズルを解く能力と言うべきか。(この手の腕力が必要な理由は、なんと言っても数学科に行くためにとても数学とは言い難い受験数学を形式的にも乗り切らないといけないため。) でもおそらく数学を理解するためには抽象化された概念の理解、演繹と帰納といった論理的な方法を使いこなせる能力の方が算術的な計算能力よりも比較にならないほど重要なためであり、そろばんや公文式などで鍛えられる計算能力とどれだけ関係があるかと言われると、ほとんど無相関だろうと思うのである。
でもそろばんや公文式をベースにした暗算が全く役に立たないかといわれると、実はそうでもない。実際の生活で役立つというのは置いておいても、学生の時にゼミでよくその手の計算を黒板の前でやらされた。そのときにお世話になった研究室の先生は、子供の頃にそろばんをかなりやらされていたそうで、結構な桁数の四則演算を暗算できるそうな。さらに計算を速くするためにかなりの個数の平方根・常用対数の近似値を覚えていて、それでいて古典解析学が得意で主要な関数の展開式を覚えているとなると、おおむね実験で必要な有効桁くらいの近似計算だったら暗算でやってのけるのである。数値的な計算が得意ではない僕でさえも何個かの対数を覚えると結構な計算の当たりをつけることができるようになったので、暗算能力はどちらかというと実際の数値を扱う物理や化学といった数学をツールとして使う分野の方が有用だろう。そんなわけで、「そろばんができる→数学ができる」ということは保証はされないが、「数学が理解できる→そろばんができる」という人は確かにいるには違いない。でも必須能力ではないと思う。
さて前置きが長くなったが本題。「数学は上から目線で」の話。実際のところ高校生のレベルで数学を志すとしてそのときに雲の上の高い目標が見えるか、もしくは後から見ても高い目標が見えるかというとなかなか難しい。強いて言えば僕らあたりまでの世代であれば、Fermat-Wilesの定理であれば望みうる最高に高い目標だろうと思う。中学生にも問題の意味が理解できて、証明に関して現代数学の広範な知識や運用能力があっても理解は相当難しいのだから。その理解をしたいと言うだけで数学を志す価値はあると思う。それに比べEulerの公式あたりだとすぐ近くにあるマイルストーンにしか見えない。たしかにEulerの公式は美しい公式の一つであるのは否定しない。でもたとえば複素解析学であればCauchyの積分定理の方が遙かに適用範囲も広く、それでいて美しい公式であると思うのである。
記事を見ていると「オイラーの公式を自分で『発見』してしまった。」とある。ここで「オレって天才!」と思うのは自由だと思うのだが、どのような経路でオイラーの公式を発見したかということが、数学的には重要に思える。
Taylorの定理を不完全に理解しているだけでも、指数関数・正弦関数・余弦関数のべき級数展開式であれば厳密ではなくともらしく導けそうだ。まずTaylorの定理での剰余項をどう見ているか? 関数の定義域全体で剰余項が常に0に収束するということ(べき級数展開可能という条件のはずだが)は、ある一点の値とその無限次の導関数までの値で関数全体の形が決まってしまうというかなり直感的ではないことを言っている。それはどういう場合かを考察してみるだけでもかなり深い。また指数関数の展開式に複素数を形式的に代入してみて正弦関数と余弦関数の展開式のような物が出てきそうだが、そこからEulerの公式に持って行くには、それぞれの複素関数の正則性とか解析接続とかいう関数論的な土台が必要であって、そういう過程がないのであれば、どこかが天下りになっていて、極論すればただ公式を覚えているに過ぎないのではないかと思うのである。
実際にEuler自身はどういう風にたどり着いたかと考えるとなかなかおもしろい。関数論的なアプローチ(上に書いた正則性->解析接続)はEulerよりも後の世代で完成した領域なので、Eulerは全く別の方法すなわちn倍角の公式を虚数を使って表し、nを無限大に近づけるという方法でEulerの公式を得ている。おそらくEulerにとって対数関数や指数関数の考察、三角関数の考察、莫大な計算の経験によって直感的にEulerの公式を自然に理解していたのではなかろうかと思う。(「オイラーの無限解析」の第8章 「円から生じる超越量」のあたりを参照。) 今の大学で習うような解析学の方法ではこのEulerがたどった方法は使えない。(極限操作を行う前に近似式を入れているので。) このEulerの著書は計算オタクにはたまらないほどおもしろい本なので、ちょっと慣れない記法はある物の一読を勧めたい。(かくいう僕も暇つぶしに楽しめる本なので。)
大学時代に数学を勉強していて思ったのは、少なくとも物理数学の教科書(僕は寺沢寛一の「自然科学者のための数学概論」をよく参照した。学んだ教科書はもうちょっと易しい教科書であったが)で学べるような範囲は古典で、計算するとしても腕力と集中力の世界。(たとえばBesselの微分方程式をちゃんと解くとかいうので徹夜するのが楽しいくらいでないといかん。) むろん解けない問題もあるが、そんな問題も数値的なら何とかする方法はあるかもという世界で、計算機に頼れば解ける問題が広がるというところか。実際に僕が数学を勉強しているなと思ったのは、位相とか測度論とかを勉強していたときで、実際のところ講義で聴いても教科書を読んでもこれがすっかり何を言っているのか分からない。ああなるほどなと漠然と概念がわかってきたのはかなり歳をとってから、でも頭が硬くなってしまってそこから先に進まない。そんなわけでいまだに論理を組み立てて議論できるわけでもないし、まあ一生できるようにならんだろうと思う。でも抽象性の高い世界を進んでみたいという気持ちはもと数学を志した人間としてはあるのである。
少なくとも我々大部分が理解している数学的な領域では不完全性定理が問題となるような場合はないくらいに完全な世界だし、不完全性定理の存在を知ったから、数学ライフが0になってしまったというのは、そもそも数学やる気じゃなかっただろうといいたいぐらいである。他が全部抜けているようにしか見えない。Eulerの公式の理解と不完全性定理の不完全な理解だけで数学をおとしめないでほしい物だ。
あと「オイラーの贈り物」を未だに名著と読んではばからない人がいるが、良くできている本であるとは思う物の、この本はEulerの公式の理解を最短距離でやろうという本であって、この本で扱っている話題から、さらにどのような数学の世界がふくらんでいくかということには全く触れられていない。高校生1年か2年の夏休みあたりに取り組んでみるとおもしろいかもとは思う物の適切な指導者は必要だと思う。さらに分厚い「虚数の情緒」だと数学以外の話題が痛すぎる。子供に読ませる気にはなれない本である。枝葉の話と中途半端な物理の話を差し引いて半分くらいの本にすれば良いかもしれないと思うが、そうするとおそらく「オイラーの贈り物」になるのか。大学1年当たりでさらっと読むなら森毅先生の「現代の古典解析」だろうか。これをさくさく読んでちゃんとした教科書に当たっていけばいいのかなと思うのである。
ちゃんと勉強してないし、適当に解析学に足を突っ込んだだけではあるので、適当な物書きではあるが、そんな僕でももっと勉強してから話ししようやと言いたいのである。

ティルトの練習

TS-E 45mm F2.8も導入したので、マクロっぽくテーブルフォトを撮るために、ティルトの練習を。三脚+自由雲台でやってみたが、このような被写体の場合はやっぱり雲台は3-Wayな物の方が使いやすいと思うので、雲台選びと三脚も使い勝手が悪いので検討したいところだな。
ということで、逆ティルトだけだと芸がないので、普通のティルトの練習。これまでの経験で露出はノーマルな状態の時にはかって露出値を覚えて、マニュアル露出でその値に設定する。(そのままだと露出が足りなくなる。)