PC

2004年01月18日 日曜日

すべてやり直し…

カーオーディオをMP3/WMA対応プレイヤーにして以来、もう_MDはいらん_と言うことで、MP3かWMAを使う生活になった。前のプレイヤーがどっちも使えたので、リッピングした音楽は曲名などの情報に漢字を含む文字を入れてもOKなWMAでエンコードするようにしていた。こんな感じでレンタルで借りてきたCDや家のCDをひたすらリッピングしてWMAにしてきたわけである。(だいたい40枚くらいですか。)
新しい車でも聴けるかなぁと思っていたら、WMAはまったく使えないじゃないですか! ということで、今までの作業は_すべてやり直し_なのです。(リッピングしたままのWave Formatは残してないので。) まぁ前回のリッピング・エンコーディング作業との違いはPCが高速化されているということで、たとえば前回國府田マリ子さんのCDを10枚エンコードするのに数時間かかったが、今回は漫画を読みながらのながら作業で30分くらいしかかからなかったため、気をよくしてさくさくエンコードしてしまおう。

2004年01月11日 日曜日

GNUの20年

ずいぶん前の話になるが、昨年はrmsがGNU Projectへの呼びかけ(翻訳,後の「GNU宣言」の元になる文書だと思う)から20年目の年だったそうな。昨年の9月末の話なので何をいまさらという話であるが、1月5日のNewsforgeにrms自身による「The Free Software Community After 20 Years: With great but incomplete success, what now?」という記事(和訳)が掲載されていたので、読んでみて思い出したかのように日記の記事にすることにした。
ソフトウェアにそれなりに踏み込んでつきあうようになると誰でもそうであると思うが、GNUの成果物の恩恵に預かっていることに気づかされることが多い。僕の場合は今年で11年目になると思う。最初の出会いはテキスト処理をするために使い始めたawkであるが、MS-DOSで使っていたので当然GNU版のawkであるgawk(の日本語版jgawk)だったように思う。当時書くのもめんどくさいテキストファイルのフィルタ処理がこんな簡単な言語でできるもんだと感動して使った記憶がある。(その後、awkの使いこなしでは師匠に絶対勝てねえと思ってperlを使うようになりawkを忘れ、今はテキストの処理の需要があまりないのでなんにもやってないが。)
その後、数値計算でCでプログラムを書く機会が多かった(Fortran嫌いなんで)ので、MS-DOSでMS QuickCを使っていた。Cを始めた頃はこの処理系でよかったが、当時積分計算をすることが結構多くて処理速度を稼ぐために最適化をかけたいことがよくあった。ただMS-Cのような処理系は_学生時代には絶対買えないお値段の処理系_(今も買えませんが)で、とても手を出せる状態にはなかった。またMS-DOSの制約以上の大きなメモリ空間を計算上必要としていたこと(こっちの方がより重大だった)ため、どうしてもMSのツールじゃ駄目だった。そんなときに大学のFTPサーバを覗いていて発見したのが、GNUのCコンパイラGCCのMS-DOS版であるdjgppでした。DOS-Extenderという妙な環境で動く何ともしれないコンパイラだったが、結構長い間愛用していた。
その後のLinuxの登場によりMS-DOSという妙な環境ではなく、何の制約もないUnix互換環境でGCCを使えるようになったので、ソースファイルごとLinuxの環境に移行してしまい、それ以来何かツールを作る環境はLinuxの上でやってきているし、こんな素晴らしいものはないと言うことでLinuxや*BSDの普及活動に時間があったら手間を惜しまず関わっている。まぁ最近はC/C++でプログラムを書くこともなくなったので、すっかり一利用者になってしまったけども。(お仕事上のVBAは除く。あれは選べない環境なので。)
最近の風潮ではGNUのGPLによる配付の縛りがきつすぎて、_GPL嫌い_な人を結構見かけるが、近年のオープンソースムーブメントのよりどころは_Linusによるバザール的開発手法の発明_とESRによる精緻な再定義によるものだとかんがえられる。しかし実際にはそれ以前の_rmsのFree Softwareの運動が基礎として存在_しており、GNU嫌いな人も_アンチテーゼとしての存在としてのGNU_なしには語れない訳だから、すべてに対して影響を及ぼしていると考えて良いと思う。改めて凄いことだと言わざる得ない。
さて、最初のrms自身の記事にもどるが、ちょっと過激なところはあると思うが大いに刺激を感じる記事かと思う。たしかに僕自身も特許やら企業秘密の中に生活している人なので、特許や企業秘密に依存するソフトウェアがどうしてもclosedでものでproprietaryな物にならざる得ないのは理解できるので、「Non-free software carries with it an antisocial system that prohibits cooperation and community.」は、ちょっと言いすぎだろうと思うが、先鋭的な意見を述べて戦い続けなければならない立場を考えると、確かにそう言い切ってしまわねばならないのだと思う。
さらに読んでいくと、

2004年01月03日 土曜日

久しぶりにFFXI

今日は10月上旬以来非常に久しぶりにFFXIをプレイ。と言うのは、FFXIプレイ開始ごろからの貴重な仲間であるTheta氏が、ついにFFXIの世界から去ることとなり、久しぶりに観光旅行と記念撮影だねぇと言うことで、北へ南へ走り回った。
途中、Legiossさんのご尽力で、サンドリア復興を目指して創設された赤獅子騎士団のCarbuncleサーバ支部(でいいのか)の立ち上げメンバの方々(初代団長 Karzuさん、Clowさん、Hiroppyさん)とも久しぶりにお会いして、記念写真を撮りました。
懐かしい方ともお会いして、記念写真を撮って、お名残おしやぁと言う話をしていたら、Thetaさんが「ジラートの新領域に行ってないですね」と言う話になり、Legioss氏らと明日冒険を繰り広げるそうな。ということで、ThetaさんのPOL脱会は明日以降に順延になったようです。何とも寂しくなるので、ここは新エリアに行ってやめられなくなっちゃいましょう。(爆)
ということで、昨日の記念写真の内、僕が撮った物。そのうちThetaさんから追加分が送られてくるはず。
記念写真その1記念写真その2

2004年01月01日 木曜日

今年もみなさまよろしく。

ここを読んでくれているみなさん、僕の写真を楽しんでくださるみなさん、昨年は本当にお世話になりました。ありがとうございました。今年も変わることなくよろしくお願いします。昨年と同じですが、「一年の計は元旦にあり」と言うことなので、今年はどのような戦いを展開するか、「戦いの軌跡」と言う題にしているので、戦術や戦略について分野別に纏めておこう。

2004年の展望

はじめに概況

2004年の野望(何の?)を達成するための、戦術や戦略を述べていくことにする。上司の年賀状にも_今年は攻めと成果_と書かれていたので、アクティブに課題に当たり、しっかりとした成果を残さねばならないと思う。今まで攻めてはいたけど、成果を形にすることに拘っていなかったので、なるべく形になるように残さねばと思うのである。(これは特に本業について言える話であるが。)
経済的な状況はまぁ怪しい上に_新年早々車を買い換えることにした_ので、これを糧に仕事をするモチベーションを創出することとしよう。いやぁがんばらねば。あと多少余裕はできると思うので今年あたりからちゃんと貯蓄に励もうと思う。2月までを乗り切った後は何とかできると思う。
年末もそうだったが、やっぱり体調を壊しがちであることは否定できない。食生活はなるべく改善する方向で何とかしているので、あとは機会を見つけて運動をせねばなと思うけど。時間を作って対応するしかないか。

2003年12月31日 水曜日

今日で2003年もおしまい

毎年こんな見出しで大晦日の日記を書いているわけだが、こないだ2002年もおしまいなんて言う記事を書いた気がするのは気のせいか。今年は2度の地震と冷夏と暖冬(?)のためか、非常に忙しい上にまるで季節感を感じない1年で、時が止まっているかのような錯覚に陥るのである。でも、気が付くともう今年もおしまい。今年お世話になった方々はいっぱいいて名前を挙げきれないが、今年1年本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
ということで、大晦日と言うこともあって、行く年に思いをはせて、今年はどういう戦いの1年だったか、今年の戦術・戦略とその戦いの成果を主要な分野別にまとめておこう。(と、ほぼ去年と同じ文章にしてみた。断じて_手抜きではない_。)

2003年の総括

はじめに概況

2002年の活動に関するそれぞれの分野における戦術的・戦略的な戦いの概況を述べることにしよう。
今年も相変わらず、会社の状況は芳しくなかったせいか、個人的な生活は主に経済面において惨憺たるものであったと言えよう。なんとか給与カットが7月を持って終わったので、収支的には±0で何とか収まっているが、いろいろと我慢させられる1年だった。もうちょっと普段の生活を考えなくてもいい程度に収入があるべきだと思うのだが、まぁ_仕事があるだけマシ_か…

2003年12月16日 火曜日

今日は写真の整理

今日は写真の整理をしてみた。8月以降の撮影分の画像処理を行っていなかったので、ひたすら整理を行った。おおざっぱに整理の手順はこんな感じ。

  1. アーカイブから撮影日ごとにより分けて作業用フォルダにコピー。(保存している原版には念のため手を出さない。)
  2. すべてのコマのピントチェック。ピントが来てないのはここで外す。
  3. 露出のチェックを行い絵にあわない写真はここで外す。
  4. Web掲載用(場合によってはアルバム用)の写真を選定する。
  5. 一気に規定のレタッチを行う。元の写真の露出とホワイトバランスが正しければ、基本的にはレベル補正・トーンカーブ(ポジっぽくコントラストを付ける)だけでおおむねOKだと思っている。
  6. Web用画像は適当な大きさ(Portraitなら400px x 600px、Landscapeなら900px x 600px)にする
  7. zphotoでアルバムを作成
    といったところだ。今日処理したのは8月10日の望月ミカゲさんの撮影会の撮影分、11月15日の葵 龍姫さんとの撮影分、12月7日のkumanekoさんとの撮影分で、処理した枚数は935枚。(これはOKとした枚数。歩留まりはだいたい90%程度だからだいたい1000枚程度見たことになるだろうか…) さすがにPCをパワーアップしてなければ、手に負えない枚数だなぁ。

2003年11月30日 日曜日

散髪

再来週の週末はまさみさんの結婚式に呼ばれているので、ぼちぼち髪を切らないとなぁと思っていたので、散髪。今週末は忙しそうなので、今日行くしかなかった… なかなかさっぱりした。

問題解決!

昨日の問題は、結局組み上げたマシンをDOSVパラダイス仙台店に持ち込むことで解決した。どうもデータ転送時に落ちるので、_メモリかHDDであろう_ということだった。まずメモリをSamsungの別のものに変更してみたが、現象が再現。どうもSamsungの今回のロットのものは相性が悪いのではないかということで、_MicronのDDR-SDRAM_をつけて、再度Windowsをインストール。すると何も問題がなかったかのようにインストールできて、実にあっさり解決なのである。_さすがDRAM業界の雄 Micron様_なのである。ということで、Samsungのメモリは返却して、Micronのメモリに載せ替え。差額2000円。こういうのにケチってはならんということか?(バルクものよりはSamsungのメモリということで出費しているはずなんだが…)
まぁ一応職業は半導体屋なので、こういう規格を満たして出荷しているはずのものの製品のロット間の微妙な動作マージン問題気にはなるというか、毎日これとの戦いのはずなのだが、自分の買ったものでこういうものに当たってしまうと、ちょっと日々の仕事を考えてしまう良い教訓だったのかもしれない。

2003年11月29日 土曜日

TLUC 第3回Ruby勉強会

今日は東北Linuxユーザー連合会(TLUC)が主催している月末の定例勉強会に参加。奇数月月末は「Ruby勉強会」を連続して行い、偶数月末は内容を補完するためのネットワーク(TCP/IP周り)の勉強会というメニューになっている。もともと僕が_今年はRubyで遊び倒したる!_と思って企画した勉強会なのだが、奇数月の月末は5月以降地震対応でとても忙しかったせいで、今回からの参加となる。CGIを書くのもRubyだとなかなか楽しいものだ。

お買い物

木曜日にlilyが引退して以来、なにかと不便な状況で、なんと_3日も持たず_我慢できなくなったので、PCを購入することにした。(まぁ予定の行動なので。) 今回いろいろと構想を立ててみたが、予想以上にPentium4の価格が下落したので、おもしろみはないが実を取るということで、Pentium4でマシンを作成することとした。今回使い回す部品は、キーボード・マウスといった入力機器とDVD±RWドライブのみなので、結構な買い物となった。勉強会から直行でDOS/V パラダイス仙台店に行ってパーツを物色。高橋@衣川さんのご協力なしにはこのような構成と運搬ができなかった。どうもありがとうございました。
で、買い物の内容。
CPU: Intel Pentium4 2.8C GHz
25000円あたりまで価格が下落してお買い得感が高くなった気がする。5000円ケチって2.6GHzにするよりは、いまなら2.8GHzだろう。
Mother Board: Gigabyte GA-8I875
いろいろ考えたが、ChipSetは無難なIntelを選ぶこととした。選びどころはいっぱいあると思うが、今回はメモリのパフォーマンスを優先して取って、Intel 875P+ICH5Rということにした。サウスブリッジは調査したマザーボードではだいたいICH5Rになっているっぽい。将来SerialATA RAIDを構築するための布石ということで。実際のボードは今回はいろいろなギミック満載のGigabyteのGA-8I875にした。Gigabit−Ether(Intel Pro/1000CT)/ATA100/SerialATA/USB 2.0/IEEE1394/6Ch Audioとカバーしていれば十分すぎるだろう。
DDR-SDRAM: PC3200 SAMSUNG 512MBx2
Dual転送を有効に活用するため、1GBにするために512MBx2という構成。相性問題が結構厳しいということで、メーカー品に手を出してみる。
Graphics: ATI RADEON9600
MatroxのMillenium G650とずいぶん迷った。結論としては_画像編集も重要だが、ゲームでも遊びたい!_ということとなった。画像編集をするという線は譲れないところなので、発色が良いATI RADEON9600とした。(まぁ今までATIでしたし、Power MacもRADEONなんだから画像編集でも問題なしということかねぇ。)
HDD: IBM IC35L120AVV207-1
HDDはどれでも良いという結論で、_120GB、キャッシュがいっぱい_という条件付けで選んでみた。HDDはメーカーの当たりはずれがどーのこーのという輩が多いが、僕は最近どのメーカーでもロット依存であたりを引くのもはずれを引くのも似たようなものと思っているので、今回は敢えて過去に2台お亡くなりになって買わないと誓っていたIBM/HitachiのHDDに手を出してみた。
液晶モニター: Nanao FlexScan L567-BK
これは2ヶ月以上も前から結論がでているモニター。はっきり言って今あるものの中ではこれしか選択肢がない。(この品質・価格で、Tilt機能はすごくいい感じだし、左右にモニターを90度回転できるんだもの。)これだけヨドバシカメラにて購入。
日本Falcom: Ys6 The Ark of Napishtim
ベンチマーク用のソフト(笑)。Ysファンとしては買わねばなるまいと思っていたのだが、液晶ディスプレイを購入したポイントで購入。3Dバリバリのゲームに仕上がっているので、ベンチマークにはちょうど良いのかも。
今日の買い物の成果の山
早速組み立てだな…

2003年11月27日 木曜日

lily引退

99年末から愛用して来たメインユースのノートパソコンがPCの入れ換えを前についに引退する事となった。Webページのブラウズやメールの読み書きなどといった一般使用にはまだまだ全然不便が無いのだけども、CD-Rが最近不調気味である事と、EOS 10Dで撮影した写真の画像編集とRAW画像の現像に関して全く能力が足りないと言う状況だった。
このPCの余生は知人宅で送る事となる。全く持ってお疲れ様でしたと言う状態である。これからしばらくの間僕のメインの環境はLinuxのファイル・IMAP4サーバにしているcosmosもしくは手軽なモバイル環境のviolaになる。こういう生活でも多量の画像編集さえしなければ、全く問題ないので便利な世の中になった物である。

2003年11月22日 土曜日

第2回家属会議(1日目)

今年も「家系レンタルサーバ 山崎家(やまざきけ)」の OFF会と言うことで、この時期に美味しい山形の新蕎麦を食して食い倒れようと言うことで、第2回家属会議が開催されることとなった。まぁ簡単に言えば、このページを置かせていただいているサーバの管理者さんとユーザの集いということになる。
今回の集合場所は山形県酒田市のジャスコに12時と言うことだった。無難なルートである47号線で酒田まで直行ということにした。計算上2時間40分程度で着くみたいなので、余裕を見て8時半に出発。天気は今ひとつだったが、出発早々綺麗な虹を見ることが出来てちょっと嬉しい。
今回の往路は鳴子を越えて最上町まで、牛乳運搬のタンク車+2台というペースカー付きで、ひたすら時速40kmで走ることとなった。非常にストレスのたまる運転であった。最上町まで約2時間かかったので結構な話である。途中の登坂車線で一気に抜き去ってそこからは順調だった。時間に間に合わないと思ったが、酒田ジャスコが見えた時間は11時45分。内心、_絶妙なペースだった_わけでストレスがたまる運転のあとだっただけにちょっと嬉しくなる。何とか時間通りに無事合流。
今年も昨年同様、「スバルオフタイムクルーズ」を聞いてきたのだが、伊藤由希子さんから変わってしまったのですよねぇ。あのトーンの声がこの上なく気に入っていたのですが、寂しいものです。